大杉栄評論集 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 奴隷根性論 一  斬り殺されるか、焼き殺されるか、あるいはまた食い殺されるか、いずれにしても必ずその身を失うべき筈の捕虜が、生命だけは助けられて苦役につかせられる。一言にして言えば、これが原始時代における奴隷の起源のもっとも重要なるものである。  かつては敵を捕えればすぐさまその肉を食らった赤色人種も、後にはしばらくこれを生かして置いて、部落中寄ってたかって、てんでに小さな炬火をもって火炙《ひあぶり》にしたり、あるいは手足の指を一本一本切り放ったり、あるいは灼熱した鉄の棒をもって焼き焦したり、あるいは小刀をもって切り刻んだりして、その残忍な復讐の快楽を貪った。  けれどもやがて農業の発達は、まだ多少食人の風の残っていた、蛮人のこの快楽を奪ってしまった。そして捕虜は駄獣として農業の苦役に使われた。  また等しくこの農業の発達とともに、土地私有の制度が起った。そしてこのこともまた、奴隷の起源の一大理由として数えられる。現にカフィールの部落においては、貧乏という言葉と奴隷という言葉とが、同意味に用いられている。借金を返すことのできない貧乏人は、金持の奴隷となって、毎年の土地の分配にも与《あず》からない。そして犬と一緒になって主人の意のままに働いている。  かくして従来無政府共産の原始自由部落の中に、主人と奴隷とができた。上下の階級ができた。そして各個人の属する社会的地位によって、その道徳を異にするのことが始まった。 二  勝利者が敗北者の上に有する権利は絶対無限である。主人は奴隷に対して生殺与奪の権を持っている。しかし奴隷には、あらゆる義務こそあれ、何等の権利のあろう筈がない。  奴隷は常に駄獣や家畜と同じように取扱われる。仕事のできる間は食わしても置くが、病気か不具にでもなれば、容赦もなく捨てて顧みない。少しでも主人の気に触れれば、すぐさま殺されてしまう。金の代りに交易される。祭壇の前の犠牲となる。時としてはまた、酋長が客膳を飾る、皿の中の肉となる。  けれども彼等奴隷は、この残酷な主人の行いをもあえて無理とは思わず、ただ自分はそう取扱わるべき運命のものとばかりあきらめている。そして社会がもっと違ったふうに組織されるものであるなどとは、主人も奴隷もさらに考えない。  奴隷のこの絶対的服従は、彼等をしていわゆる奴隷根性の卑劣に陥らしむるとともに、また一般の道徳の上にもはなはだしき頽敗を帰さしめた。一体人が道徳的に完成せられるのは、これを消極的に言えば、他人を害するようなそして自分を堕落さすような行為を、ほとんど本能的に避ける徳性を得ることにある。しかるに何等の非難または刑罪の恐れもなく、かつ何等の保護も抵抗もないものの上に、容赦《ようしゃ》なくその出来心のいっさいを満足さすというがごときは、これとまったく反対の効果を生ずるのは言うまでもない。飽くことを知らない暴慢と残虐とが蔓《はび》こる。  かくして社会の中間にあるものは、弱者を虐遇することに馴れると同時に、また強者に対しては自ら奴隷の役目を演ずることに馴れた。小主人は自らの奴隷の前に傲慢なるとともに、大主人の前には自らまったく奴隷の態度を学んだ。  強者に対する盲目の絶対の服従、これが奴隷制度の生んだ一大道徳律である。そして主人および酋長に対するこの奴隷根性が、その後の道徳進化の上に、いかなる影響を及ぼしたかは次に見たい。 三  先きにも言ったごとく、奴隷は駄獣である、家畜である。そして奴隷はまず、家畜の中の犬を真似た。  カフィール族はその酋長に会うたびに、「私はあなた様の犬でございます」と挨拶をするという。しかし自分の身を犬に較べるこの風習は、ただに言葉の上ばかりでなくその身振りや処作においても、人間としての躰の許せるだけ犬の真似をするということが、ほとんど例外もないほどにいたるところの野蛮人の間に行われている。  まずその一般の方法としては、着物の幾分かを脱いで、地に伏して、そして土挨を被るにある。  アフリカは奴隷制度のもっとも厳格なところであった。したがってこの犬の真似の儀式も、ほとんど極端なまでに行われている。 アルゲン島附近のアザナギス族は、酋長の前に出ると、裸になって、額を地につけて、頭と肩とに砂を被る。イシニー族もやはりまず着物を脱いで、腹這いになって、這いながら口へ砂をつめる。  クラツバートン氏によれば、氏がカトウンガの酋長に謁見した時、二十余名の大官がいずれも腰まで裸になって、腹這いになったまま顔も胸も土まみれになって酋長の傍へ這いずって行って、初めてそこに坐って酋長と言葉を交えることを許されたのを見たという。  ところがこの貴族等はまた、自分が酋長に対してやることを、同じようにその臣下のものに強いる。バロンダ族の平民は、道で貴族の前に出ると、四這いになって、体や手足に土をぬりつける。キアマ族もまた貴族の前に出ると、急に地べたに横になる。  ダホメーの酋長の家では、臣下は玉座の二十歩以内に近よることを禁ぜられて、ダクロと称する老婆によって、酋長へのいっさいの取次ぎをして貰う。まずその取次ぎを請うものは、ダクロの前へ四這いになって行く。そしてダクロはまた四足になって、酋長の前へ這って行く。 四  野蛮人のこの四這い的奴隷根性を生んだのは、もとより主人に対する奴隷の恐怖であった。けれどもやがてこの恐怖心に、さらに他の道徳的要素が加わって来た。すなわち馴れるに従ってだんだんこの四這い的行為が苦痛でなくなって、かえってそこにある愉快を見出すようになり、ついに宗教的崇拝ともいうべき尊敬の念に変ってしまった。本来人間の脳髄は、生物学的にそうなる性質のあるものである。  そして酋長は他の人間以上のあるものになってしまった。  ナチエーの酋長は太陽の兄弟であった。そしてこの資格をもって、その臣下の上に絶対権を握っていた。酋長の嗣子は生れるとすぐに、その時母の乳房にすがっているいっさいの嬰児の主人であるとせられた。  中央アフリカにおいても、大中小の酋長はいずれもみな神権を持っていて、自由に地水風火の原素を使役する。ことに雨を降らすに妙を得ている。  バッテル氏によるに、ルアゴンでは畑に雨の必要があると、酋長に願って空に弓を射て貰う。これは雲にそのつとめを命じさすのである。  そこで人民が酋長に雨乞いを願うと、酋長の方からはその代りに租税を要求するというような争いが起きる。「羊を持って来なければ雨は降らせぬ」などと威張る。また洪水の時などには、麦幾許を納めなければ永劫にあらしがあるなどと嚇《おど》す。  ブーサ族の酋長が、ヨーロッパでは一夫多妻を禁じていると聞いて、「外の人にはそれも善かろうが、しかし酋長には怪しからんことだ」と言ったという。  アシャンチ族の酋長は、いっさいの法律の上に超絶していて、酋長の子はどんな悪事をしても罰せられることがない。そして臣下は酋長のために死ぬことを至上の義務と心得されている。 五  なおこの時代の野蛮人は、一般にごくお粗末な霊魂不滅観を抱いていた。すなわち人が死んだ後、なお幾許かの間、生きているものと信じていた。死人の影が、地上の生活と同じような生活を、どこかで続けているものと信じていた。  そしてこの天上の生活は、ことに大人物にのみ限られていた。平民や奴隷はこの世限りで死んでしまうのである。そこで大小の酋長が死ぬと、食物だの、武器だの、奴隷だの、女だのと、いろいろなものをその未来の生活に伴って行く。  カライブ族の酋長が死んだ時に、その妻の一人が一緒に葬られた。彼女はこの酋長の子を幾人か生んだというので、ことにこの役目に撰ばれたのである。  かつてハワイで、ハワイナポレオンと称せられた、大虐殺王タメハメハの死んだ時などは、大勢の人間の強制的犠牲を供えたのみならず、なお無数の忠良な臣下が自殺しまたは自ら傷つけて不具になった。そしてその後数年間、国民は毎年その日に糸切歯を抜いて、タメハメハを祭った。  ベナン族の酋長の葬式には、墓の側に徳利形の大きな深い穴を掘って、その口から大勢の奴隷や召使を投《ほ》おり込んで、そこに餓死さしてしまう。  アシャンチの酋長が死ぬと、その親族のものは外に走って出て、手あたり次第に道に会う人々を殺す。それから数百または数千の奴隷の首をしめる。そして時々また、何か事のあるたびに、天上の酋長に使いするために、幾多の奴隷を殺す。 六  僕はあまりに馬鹿馬鹿しい事実を列挙して来た。今時こんなことを言って、何のためになるのかと思われるような、ベラポーな事実を列挙して来た。けれどもなお僕に一言の結論を許して戴きたい。  主人に喜ばれる、主人に盲従する、主人を崇拝する。これが全社会組織の暴力と恐怖との上に築かれた、原始時代からホンの近代に至るまでの、ほとんど唯一の大道徳律であったのである。  そしてこの道徳律が人類の脳髄の中に、容易に消え去ることのできない、深い溝を穿ってしまった。服従を基礎とする今日のいっさいの道徳は、要するにこの奴隷根性のお名残りである。  政府の形式を変えたり、憲法の条文を改めたりするのは、何でもない仕事である。けれども過去数万年あるいは数十万年の間、われわれ人類の脳髄に刻み込まれたこの奴隷根性を消え去らしめることは、なかなかに容易な事業じゃない。けれども真にわれわれが自由人たらんがためには、どうしてもこの事実は完成しなければならぬ。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 征服の事実  樗牛全集の中に、ブランデスの何かの本から抜いた、次の文がある。 「少なくともヨーロッパの四大国民の名は、いずれもみな外国の名である。フランスの名称は、ライン河の西岸に棲んでいたフランク人から来たもので、この国民の祖先たる古のケルト人とは、何の因縁もないのである。イギリスの名は、もとドイツの一地方から来たもので、アングロサクソン民族とは、何の血族上の連絡もないのである。ロシアの名は、もと北方の起原で、スカンジナビアの一民族たる、ロゼルの転訛したものである。プロシャはプロイセンというスラブの一蛮族の名で、十二世紀の終り頃に、ドイツにはいったのである。」  この事実は、僕が今ここに述べようとすることと、あるいは関係のあるものもあり、あるいはさほどに関係のないのもあるかも知れぬ。けれども、これを読んだ時の僕自身に取っては、これが深い社会事実を思わせる、力強い暗示であったのである。  征服だ! 僕はこう叫んだ。社会は、少なくとも今日の人の言う社会は、征服に始まったのである。  カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスとは、その共著『共産党宣言』の初めに言っている。「由来一切社会の歴史は階級闘争の歴史である」と。けれどもこの階級闘争の以前に、またそれと同時に、種族の闘争があった。そしてそこに、この征服という事実が現れた。  人類がまだ動物の域にいた頃、その住家は、恐らくは熱帯地の何処かであったろうと思われる。そして多くの事実は、人類の始現を見た地方として、南方アジアを指している。  ここに初期の人類は、自然の富饒の間に暖かい空気の下に、動物のような生活を送りながらも、なお多少環境を変更し、または他の肉食獣を避けもしくは欺くに足る知識もあり、非常な速度で繁殖することができた。そして血族関係から生じた各集団の人口が多くなって、互いに接触し衝突するようになれば、その集団は思うままに四方八方に移住した。かくして長い間、原始人類の間に、安楽と平和とが続いた。この時代が、昔からよく言う、いわゆる黄金時代であったのである。  そのある集団は、いよいよ遠く、あるいは島嶼にまで移り住んで、他の集団と接触することもなく、したがって何の煩わされることもなく、その単純な半獣的存在を続けた。今日なお世界の各地に残っている原始人種はすなわちこれである。けれどもさほどに遠くまで中心地を離れなかった集団同士の間に、やがてその人口の迅速な増加とともに、相互の接触と衝突とが生じて来た。そしてそこに、従来の平安な、半獣的自由の生活が失われて、いわゆる文明が生れかけて来た。歴史が始まりかけて来た。  その間にこれらの各集団は、その共通起原の伝習も痕跡も失って、各々違った言語や風習や宗教を持つようになり、まったく異なった種族を形づくってしまった。そして各種族は互いに接蝕するごとに、衝突となり戦争となって、残酷な仇同士となった。  この形勢は、発明、しかも主として攻撃と防禦との方法を生産することに向った発明の、有力な刺激になった。戦争の勝敗は今も昔も、個人の勇敢ということよりも、むしろ、武器の機械的優劣によるものである。かつ尚武心は発達した。野心深い酋長等は、互いに政略を競い始めた。  グンプロウィツとラフエンホフアとは、この種族間の闘争によって社会が創生せられたことを、巧みに論証している。種族闘争の第一歩は、一種族による他の種族の征服である。他の種族よりも優れた武器と戦略的才能とを持っている一種族が、勝利を占めて征服者となる。そして他の種族は被征服者の地位に落ちる。  この征服によって、まったく異なった二種族が密接な接蝕をすることとなる。しかし彼等はとうてい同化することができない。いわばその社会は両極に分れるのである。征服者は常に被征服者を蔑視する。あらゆる方法をもって奴隷化する。被征服者はまた、仕方なしに服従しながらも、征服者の暴力以外のいっさいのものを認めない。かくして互いに敵視し反感する二種族が、社会の両極を形づくることとなる。  けれどもこの二種族の不平等は、地位の不平等ということ以上に、なおあるものがあったのである。もともとこの二種族は先きにも言ったごとく、まったく異なれる種族である。彼等は異なれる言語を使っている。異なれる神を崇拝している。異なれる様式と礼拝とを行っている。異なれる風俗と習慣と制度とを持っている。そして被征服種族は、それらのものの一つでも失うよりは、むしろ退治し尽されることを望んでいる。征服種族はその臣下の有するあらゆるものに対して、絶対的軽侮をほしいままにしている。しかしそれを自らのものに同化することはできない。  ここにおいて、この両極の調和、というよりはむしろ、征服者が本当に被征服者を征服しおわせんがために、社会の諸種の制度が生れた。  被征服者のいっさいの行為に対して、絶えず兵力を用いる困難と費用とおよび部分的失敗とは、ついに征服者の一大負担となった。一時は勝利の誇りに駆られて、その権威に対するあらゆる叛逆者を、見つかり次第に厳罰に処してもいたが、やがてこんなふうに一人一人別々に支配して行くのが面倒臭くなって、何とか纏った統治の方法が要求せられて来た。  すなわちもっともしばしば犯される行為の種頬を圧伏するために、ある一般的規則を設けることが発明せられた。そしてこの方法のはなはだ経済的なことが分ってからは、なおその他の広い範囲の諸種の行為にも、同様にそれぞれの一般的規則を設けることとなった。かくしてついに今日いうところの法治的支配の基礎が置かれたのである。そしてこの法律を犯さない間は、多少の自由が、被征服者に与えられる。換言すれば、この法律に服することが被治者の義務であり、この法律の達犯にならない行為がその権利であると認められるようになった。  これと同時にまた、征服階級のいわゆる教育ということが行われた。両階級の地位の不平等を維持して行くためには、もともと被征服者階級の方があらゆる点において劣等種族であるという観念を、是非とも被征服階級自身の心中に、しかと植え付けて置かねばならぬ。もし被征服階級がいささかでもこれに疑惑をさしはさむようになれば、それは社会の安寧と秩序との大なる紊乱を生ずるもととなる。そこでこの観念を強制するために、諸種の政策が行われた。いわゆる国民教育の起原にしてかつ基礎たる組織的瞞着の諸種の手段が行われた。  けれどもただこれだけでは治まって行くものではない。元来ある一種族が征服せられたというのは、ほんの偶然の出来事からか、もしくは戦争術が下手だったからである。その他の点においては、あるいは被征服者の方がかえって優れていたかも知れぬ。そこで征服者は、利害のまったく異なった被征服者を統治する困難から遁れるために、被征服者の中のあるものの助けを乞わねばならなくなる。被征服者の中にもまた、多少の特権を得て、容易にこれに応ずるものが出て来る。すなわち被征服者の中の知識者が、征服者の階級に仲間入りをして、その征服事業に協力することとなる。そして権利と義務とが、両階級の間に、もっと適切に言えば、征服階級と被征服階級の一部分との間に、多少相互的になる。  この相互的ということは、いまだ不平等を生じない被征服階級に対する、絶好の瞞着手段であったのである。すなわち知識者は言う。  見よ、今やわが部落は征服階級のみの部落ではない。彼等はすでに先きの非を悟って被征服階級たる吾等に参政権を与えた。万人は法律の前に平等であると。  なお種々なる事情は、一方に征服者をして諸種の譲歩をなさしめるとともに、また一方に被征服者をして空虚な誇りとおよびあきらめとに陥らしめる。そして両階級の間に、漸次に皮相的妥協を進めて行く。  僕は今、この征服の事実について、詳細を語る暇はない。けれども以上に述べた事実は、いやしくも正直なる社会学者たらんものの、恐らくは何人も非認することのできない事実である。  歴史は複雑だ。けれどもその複雑を一貫する単純はある。たとえば征服の形式はいろいろある。しかし古今を通じて、いっさいの社会には、必ずその両極に、征服者の階級と被征服者の階級とが控えている。  再び『共産党宣言』を借りれば、「ギリシャの自由民と奴隷、ローマの貴族と平民、中世の領主と農奴、同業組合員と被雇職人」はすなわちこれである。そして近世に至って、社会は、資本家てう(という)征服階級と、労働者てう(という)被征服階級との両極に分れた。  社会は進歩した。したがって征服の方法も発達した。暴力と瞞着との方法は、ますます巧妙に組織立てられた。  政治! 法律! 宗教! 教育! 道徳! 軍隊! 警察! 裁判! 議会! 科学! 哲学! 文芸! その他いっさいの社会的諸制度!!  そして両極たる征服階級と被征服階級との中間にある諸階級の人々は、原始時代のかの知識者と同じく、あるいは意識的にあるいは無意識的に、これらの組識的暴力と瞞着との協力者となり補助者となっている。  この征服の事実は、過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の、人類社会の根本事実である。この征服のことが明瞭に意識されない間は、社会の出来事の何ものも、正当に理解することは許されない。  敏感と聡明とを誇るとともに、個人の権威の至上を叫ぶ文芸の徒よ。講君の敏感と聡明とが、この征服の事実と、およびそれに対する反抗とに触れざる限り、諸君の作物は遊びである、戯れである。われわれの日常生活にまで圧迫して来る、この事実の重さを忘れしめんとする、あきらめである。組織的瞞着の有力なる一分子である。  われわれをしていたずらに恍惚たらしめる静的美は、もはやわれわれとは没交渉である。われわれは、エクスタシイと同時にアンツウジアスムを生ぜしめる動的美に憧れたい。われわれの要求する文芸は、かの事実に対する憎悪美と叛逆美との創造的文芸である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 生の拡充 「征服の事実」の中に、僕は「過去と現在とおよび近き将来との数万あるいは数千年間の人類社会の根本事実」たる征服のことを説いて、これが「明瞭に意識されない間は社会の出来事の何ものも正当に理解するを許されない」と断じた。  そしてさらにこの論を芸術界に及ぼして、「この征服の事実とおよびそれに対する反抗とに触れざる限り、諸君の作物は遊びである、戯れである。われわれの日常生活にまで圧迫して来る、この事実の重さを忘れしめんとする、あきらめである。組織的瞞着の有力なる一分子である」となし、最後に次のごとき結論を下した。 「われわれをしていたずらに恍惚たらしめる静的美は、もはやわれわれとは没交渉である。われわれはエクスタシイと同時にアンツウジアスムを生ぜしめる動的美に憧れたい。われわれの要求する文芸は、かの事実に対する憎悪美と叛逆美との創造的文芸である。」  今僕は再びこの問題にはいって、この三項の連絡をもう少し緊密にし、したがって僕のこの主張にさらに多少の内容的明白を加えたいと思う。  生ということ、生の拡充ということは、言うまでもなく近代思想の基調である。近代思想のアルファでありオメガである。しからば生とは何か、生の拡充とは何か、僕はまずここから出立しなければならぬ。  生には広義と狭義とがある。僕は今そのもっとも狭い個人の生の義をとる。この生の神髄はすなわち自我である。そして自我とは要するに一種の力である。力学上の力の法則に従う一種の力である。  力はただちに動作となって現れねばならぬ。何となれば力の存在と動作とは同意義のものである。したがって力の活動は避け得られるものではない。活動そのものが力の全部なのである。活動は力の唯一のアスペクトである。  さればわれわれの生の必然の論理は、われわれに活動を命ずる。また拡張を命ずる。何となれば活動とはある存在物を空間に展開せしめんとするの謂に外ならぬ。  けれども生の拡張には、また生の充実を伴わねばならぬ。むしろその充実が拡張を余儀なくせしめるのである。したがって充実と拡張とは同一物であらねばならぬ。  かくして生の拡充はわれわれの唯一の生の義務となる。われわれの生の執念深い要請を満足させるものは、ただもっとも有効なる活動のみとなる。また生の必然の論理は、生の拡充を障礙せんとするいっさいの事物を除去し破壊すべく、われわれに命ずる。そしてこの命令に背く時、われわれの生は、われわれの自我は、停滞し、腐敗し、壊滅する。  生の拡充は生そのものの根本的性質である。原始以来人類はすでにその生の拡充のために、その周囲との闘争と、およびその周囲の利用とを続けて来た。また人類同士の間にも、お互いの生の拡充のために、お互いの闘争と利用とを続けて来た。そしてこの人類同士の闘争と利用とが、人類をして、未だ発達したる知識の光明に照らされざりし、その生の道をふみ迷わしめたのである。  人類同士の闘争と利用とは、かえってお互いの生の拡充の障礙となった。すなわち誤れる方法の闘争と利用との結果、同じ人類の間に征服者と被征服者との両極を生じた。このことはすでに「征服の事実」の中に詳論した。  被征服者の生の拡充はほとんど杜絶せられた。彼等はほとんど自我を失った。彼等はただ征服者の意志と命令とによって動作する奴隷となった、器械となった。自己の生、自己の我の発展をとどめられた被征服者は勢い堕落せざるを得ない、腐敗せざるを得ない。  征服者とてもまた同じことである。奴隷の腐敗と堕落とは、ひいて主人の上にも及ぼさずにはやまない。また奴隷には奴隷の不徳があれば、主人には主人の不徳がある。奴隷に卑屈があれば、主人には傲慢がある。いわば奴隷は消極的に生を毀ち、主人は積極的に生を損ずる。人として生の拡充を障礙することは、いずれも同一である。  またこの人類同士の闘争と利用とは、人類がその周囲と闘争し、その周囲を利用することに著しき障礙を来さしめた。  この両極の生の毀損がまさに壊滅に近づかんとする時、ここにいつも侵寇かあるいは革命が起って来る。比較的に健全なる生を有する中間階級がイニシアチブを取って、被征服階級の救済の名の下に、その援助をかりて事を挙げる。あるいは被征服階級の絶望的反乱となって、中間階級の利用の下に事を挙げる。そしてその当然の結果は、常に中間階級が新しき主人となることによって終る。人類の歴史は、要するにこの繰返しである。繰返しのたびごとに多少の進化を経たる繰返しである。  けれども人類はついに原始に帰ることを知らなかった。人類が未だ主人と奴隷とに分れない原始に帰ることを知らなかった。自己意識のなかった原始の自由時代に、さらに十分なる自己意識を提げて帰ることを知らなかった。絶大なる意味の歴史の繰返しをすることを知らなかった。  久しく主人と奴隷との社会にあった人類は、主人のない、奴隷のない社会を想像することができなかった。人の上の人の権威を排除して、われ自らわれを主宰することが、生の拡充の至上の手段であることに想い到らなかった。  彼等はただ主人を選んだ。主人の名を変えた。そしてついに根本の征服の事実そのものに斧を触れることをあえてしなかった。これが人類の歴史の最大誤謬である。  われわれはもうこの歴史の繰返しを終らねばならぬ。数千年数万年間のピルグリメエジは、すでにわれわれにこの繰返しの愚を教えた。われわれはこの繰返しを終るために、最後の絶大なる繰返しを行わねばならぬ。個人としての生の真の拡充のために、人類として生の真の拡充のために。  今や近代社会の征服事実は、ほとんどその絶頂に達した。征服階級それ自身も、中間階級も、また被征服階級も、いずれもこの事実の重さに堪えられなくなった。征服階級はその過大なるあるいは異常なる生の発展に苦悩し出して来た。被征服階級はその圧迫せられたる生の窒息に苦悩し出して来た。そして中間階級はまた、この両階級のいずれもの苦悩に襲われて来た。これが近代の生の悩みの主因である。  ここにおいてか、生が生きて行くためには、かの征服の事実に対する憎悪が生ぜねばならぬ。憎悪がさらに反逆を生ぜねばならぬ。新生活の要求が起きねばならぬ。人の上に人の権威を戴かない、自我が自我を主宰する、自由生活の要求が起きねばならぬ。はたして少数者の間にことに被征服者中の少数者の間に、この感情と、この思想と、この意志とが起って来た。  われわれの生の執念深い要請を満足させる、唯一のもっとも有効なる活動として、まずかの征服の事実に対する反逆が現れた。またかの征服の事実から生ずる、そしてわれわれの生の拡充を障礙する、いっさいの事物に対する破壊が現れた。  そして生の拡充の中に生の至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中にのみ、今日生の至上の美を見る。征服の事実がその頂上に達した今日においては、階調はもはや美ではない。美はただ乱調にある。階調は偽りである。真はただ乱調にある。  今や生の拡充はただ反逆によってのみ達せられる。新生活の創造、新社会の創造はただ反逆によるのみである。  僕は僕自身の生活において、この反逆の中に、無限の美を享楽しつつある。そして僕のいわゆる実行の芸術なる意義もまた、要するにここにある。実行とは生の直接の活動である。そして頭脳の科学的洗練を受けた近代人の実行は、いわゆる「本気の沙汰でない」実行ではない。前後の思慮のない実行ではない。またあながちに手ばかりに任した実行ではない。  多年の観察と思索とから、生のもっとも有効なる活動であると信じた実行である。実行の前後は勿論、その最中といえども、なお当面の事件の背景が十分に頭に映じている実行である。実行に伴う観照がある。観照に伴う恍惚がある。恍惚に伴う熱情がある。そしてこの熱情はさらに新しき実行を呼ぶ。そこにはもう単一な主観も、単一な客観もない。主観と客観とが合致する。これがレヴォリユーショナリイとしての僕の法悦の境である。芸術の境である。  かつこの境にある間、かの征服の事実に対する僕の意識は、全心的にもっとも明瞭なる時である。僕の自我は、僕の生は、もっとも確実に樹立した時である。そしてこの境を経験するたびごとに、僕の意識と僕の自我とは、ますます明瞭にますます確実になって行く。生の歓喜があふれて行く。  僕の生のこの充実は、また同時に僕の生の拡張である。そしてまた同時に、人類の生の拡充である。僕は僕の生の活動の中に、人類の生の活動を見る。  また、かくのごときもっとも有効なる生の活動方向をとっているものは、ただに僕一人ではない。真に自己を自覚し、また自己と周囲との関係を自覚した人々は、今日なおはなはだ少数ながらも、しかもすでに断乎たる歩みをこの道に進めている。盲目者の外は何人も見遁すことのできない、将来社会の大勢を形づくりつつある。  事実の上に立脚するという、日本のこの頃の文芸が、なぜ社会の根本事実たる、しかも今日その絶頂に達したる、かの征服のことに触れないのか。近代の生の悩みの根本に触れないのか。さらに一歩進んで、なぜそれに対するこの反逆の事実に触れないのか。この新しき生、新しき社会の創造に触れないのか。確実なる社会的知識の根底の上に築かれた、徹底せる憎悪美と反逆美との創造的文芸が現れないのか。  僕は生の要求するところに従って、この意味の傾向的の文芸を要求する、科学を要求する、哲学を要求する。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 底本:全集・現代文学の発見 第一巻    昭和四十九年九月第一刷発行    学芸書林 テキスト入力:山根鋭二 テキスト校正:浜野 智 青空文庫公開:1998年8月