「瓶詰地獄」他 夢野久作 --------------------------------------------------------------- ●テキスト版独自の表記について 本文中、漢字の熟語が連続し、後半部にのみルビがつけられる場合には、「旧\露西亜《ロシア》」のように「\」で区切りを示した。 --------------------------------------------------------------- 死後の恋   一  ハハハハハ。イヤ……失礼しました。嘸《さぞ》かしビックリなすったでしょう。ハハア。乞食かとお思いになった……アハアハアハ。イヤ大笑いです。  あなたは近頃、この浦塩《うらじお》の町で評判になっている、風来坊のキチガイ紳士が、私だという事をチットモ御存じなかったのですね。ハハア。ナルホド。それじゃそうお思いになるのも無理はありません。泥棒市に売れ残っていた旧式のボロ礼服を着ている男が、貴下《あなた》のような立派な日本の軍人さんを、スウェツランスカヤ(浦塩の銀座通り)のまん中で捕まえて、こんなレストランへ引っぱり込んで、ダシヌケに、 「私の運命を決定《きめ》て下さい」  などと、お願いするのですからね。キチガイだと思われても仕方がありませんね。ハハハハハ……しかし私が乞食やキチガイでないことはおわかりになるでしょう。ネエ。おわかりになるでしょう。酔っ払いでないことも……さよう……。  お笑いになると困りますが、私はこう見えても生え抜きのモスコー育ちで、旧\露西亜《ロシア》の貴族の血を享《う》けている人間なのです。そうして現在では、ロマノフ王家の末路に関する「死後の恋」という極めて不可思議な神秘作用に自分の運命を押さえつけられて、夜《よ》もオチオチ眠られぬくらい悩まされ続けておりますので……実は只今からそのお話をきいて頂いて、あなたの御判断を願おうと思っているのですが……勿論それは極めて真剣な、且つ歴史的に重大なお話なのですが……。  ……ああ……御承知下さる……有り難う有り難う。ホントウに感謝します。……ところでウオツカを一杯いかがですか……ではウイスキーは……コニャックも……皆お嫌い……日本の兵士はナゼそんなに、お酒を召し上らないのでしょう……では紅茶。乾菓子《コンフェートム》。野菜……アッ。この店には自慢の腸詰《ソーセージ》がありますよ。召し上りますか……ハラショ……。  オイオイ別嬪《べっぴん》さん。一寸《ちょっと》来てくれ。註文があるんだ。……私は失礼してお酒をいただきます。……イヤ……全く、こんな贅沢な真似が出来るのも、日本軍が居て秩序を保って下さるお蔭です。室《へや》が小さいのでペーチカがよく利きますね……サ……帽子をお取り下さい。どうか御ゆっくり願います。  実を申しますと私はツイ一週間ばかり前に、あの日本軍の兵站《へいたん》部の門前で、あなたをお見かけした時から、ゼヒトモ一度ゆっくりとお話ししたいと思っておりましたのです。あなたがあの兵站部の門を出て、このスウェツランスカヤへ買い物にお出《い》でになるお姿を拝見するたんびに、これはきっと日本でも身分のあるお方が、軍人になっておられるのだな……と直感しましたのです。イヤイヤ決してオベッカを云うのではありませぬ……のみならず、失礼とは思いましたが、その後《のち》だんだんと気をつけておりますと、貴下の露西亜《ロシア》語が外国人とは思われぬ位お上手なことと、露西亜《ロシア》人に対して特別に御親切なことがわかりましたので……しかもそれは、貴下が吾々同胞《わたくしたち》の気風《きもち》に対して特別に深い、行き届いた理解力を持っておいでになるのに原因していることが、ハッキリと私に首肯《うなず》かれましたので、是非ともこの話を聞いて頂く事に決心してしまったのです。否、あなたよりほかにこのお話を理解して、私の運命を決定して下さるお方は無いと思い込んでしまったのです。  さよう……只きいて下されば、いいのです。そうして私がこれからお話しする恐しい「死後の恋」というものが、実際にあり得ることを認めて下されば宜しいのです。そうすればそのお礼として、失礼で御座いますが、私の全財産を捧げさして頂きたいと考えておるのです。それは大抵の貴族が眼を眩《ま》わすくらいのお金に価するもので、私の生命にも換えられぬ貴重品なのですが、このお話の真実性を認めて、私の運命を決定して下さるお礼のためには、決して多過ぎると思いません。惜しいとも思いませぬ。それほどに私を支配している「死後の恋」の運命は崇高と、深刻と、奇怪とを極めているのです。  少々前置が長くなりますが、註文が参ります間、御辛棒《ごしんぼう》下さいませんか……ハラショ……。  私がこの話をして聞かせた人はかなりの多数に上っております。同胞の露西亜人には無論のこと、チェックにも、猶太《ユダヤ》人にも、支那人にも、米国人にも……けれども一人として信じてくれるものがいないのです。そればかりか、私が、あまり熱心になって、相手構わずにこの話をして聞かせるために、だんだんと評判が高くなって来ました。しまいには戦争が生んだ一種の精神病患者と認められて、白軍の隊から逐《お》い出されてしまったのです。  そこでいよいよ私は、この浦塩の名物男となってしまいました。この話をしようとすると、みんなゲラゲラ笑って逃げて行くのです。稀《たま》に聞いてくれる者があっても、人を馬鹿にするなと云って憤《おこ》り出したり……ニヤニヤ冷笑しながら手を振って立ち去ったり……胸が悪くなったと云って、私の足下に唾を吐いて行ったり……それが私にとって死ぬ程悲しいのです。淋《さび》しくて情なくて堪らないのです。  ですから誰でもいい……この広い世界中にタッタ一人でいいから、現在私を支配している世にも不可思議な「死後の恋」の話を肯定して下さるお方があったら、……そうして、私の運命を決定して下さるお方があったら、その方に私の全財産である「死後の恋」の遺品《かたみ》をソックリそのままお譲りして、自分はお酒を飲んで飲んで飲み死にしようと決心したのです。そうして、やっとのこと貴下を発見《みつ》けたのです。あなたこそ、「死後の恋」に絡まる私の運命を、決定して下さるお方に違いないと信じたのです。  ヤ……お料理が来ました。あなたの御健康と幸福を祝さして下さい。日本の紳士にこのお話をするのは、貴下が最初なのですからネ……そうして恐らく最後と思いますから……。   二  ところで一体、あなたはこの私を何歳ぐらいの人間とお思いになりますか、エ? わからない?……ハハハハ。これでもまだ二十四なのですよ。名前はワーシカ・コルニコフと申します。さよう、コルニコフというのが本名なのです……モスコーの大学に這入《はい》って、心理学を専攻して、やっと一昨年出て来たばかりの小僧ッ子ですがね。四十位には見えますでしょう。髪毛《かみのけ》や髭に白髪が交っていますからね。ハハハハハ。しかし私は、今から三ヶ月前迄は間違いなく二十代に見えたのです。白髪などは一本も無くて、今とは正反対のムクムク肥った黒い顔に、白軍の兵卒の服を着ていたのですから……。  ところが、それがたった一夜の間に、こんな老人《としより》になってしまったのです。  詳しく申しますと、今年(大正七年)の、八月二十八日の午後九時から、翌日の午前五時までの間のこと、……距離で云えば、ドウスゴイ附近の原ッパの真中に在る一ツの森から、南へ僅か十二露里(約三里)の所に在る日本軍の前哨まで、鉄道線路伝いによろめいて来る間のことです。そのあいだに今申しました……不可思議な「死後の恋」の神秘力は、私を魂のドン底まで苦しめてこんな老人《としより》にまで衰弱させてしまいました……。……どうです。このような事実を貴下は信じて下さいますか。……ハラショ……あり得ると思われる……と仰言《おっしゃ》るのですね。オッチエニエ、ハラショ……有り難い有り難い。  ところで最前も一寸申しました通り、私はモスコー生まれの貴族の一人息子で、革命の時に両親を喪《うしな》いましてから後、この浦塩へ参りますまでは、故意《わざ》と本名を匿しておったのですが、あまり威張れませんが生れ付き乱暴なことが嫌いで、むしろ戦争なぞは身ぶるいが出る程好かなかったのです。然し今申しましたペトログラードの革命で、家族や家産を一時に奪われて極端な窮迫に陥ってしまいますと、不思議にも気が変って参りまして、どうでもなれ……というような自殺気分を取り交ぜた自暴自棄の考えから、一番嫌いな兵隊になったのですが、それから後幸か不幸か、一度も戦争らしい戦争にぶつからないまま、あちらこちらと隊籍をかえておりますうちに、セミヨノフ将軍の配下について、赤軍のあとを逐いつつ、御承知でも御座いましょうがここから三百露里ばかり距《へだ》たった、烏首里《ウスリ》という村へ移動して参りましたのが、ちょうど今年の八月の初旬の事でした。そうしてそこで部隊の編成がかわった時に、このお話の主人公になっているリヤトニコフという兵卒が私と同じ分隊に這入ることになったのです。  リヤトニコフは私と同じモスコー生れだと云っておりましたが、起居動作が思い切って無邪気で活溌な、一種の躁《はしゃ》ぎ屋と見えるうちに、どことなく気品が備わっているように思われる十七、八歳の少年兵士で、真黒く日に焼けてはいましたけれども、たしかに貴族の血を享けていることが、その清らかな眼鼻立ちを見ただけでもわかるのでした。  彼はこの村に来て、私と同じ分隊に編入されると間もなく、私と非常な仲良しになってしまって、兄弟同様に親切にし合うのでした。……といっても決して忌わしい関係なぞを結んだのではありませぬ。あんな事は獣性と人間性の矛盾を錯覚した、一種の痴呆患者のする事です……で……そのリヤトニコフと私とは、何ということなしに心を惹かれ合って隙《ひま》さえあれば宗教や、政治や芸術の話なぞをし合っているのでしたが、二人とも純な王朝文化の愛惜者であることが追々とわかって来ましたので、涙が出るほど話がよく合いました。殺風景な軍陣の間にこれ程の話相手を見つけた私の喜びと感激……それは恐らく、リヤトニコフも同様であったろうと思われますが……その楽しみが、どんなに深かったかは、あなたのお察しに任せます。  けれども、そうした私たちの楽しみは、あまり長く続きませんでした。その後間もなくセミヨノフ軍の方では、この村に白軍が移動して来たことを、ニコリスクの日本軍に知らせるために、私達の一分隊……下士一名、兵卒十一名に、二人の将校と、一人の下士を添えて斥候《せっこう》に出すことになりましたのです。さよう、……連絡斥候ですね。実は私は、それまで弱虫と見られていて、そんな任務の時にはいつでも後廻しにされていたので、今度も都合よく司令部の勤務に廻されていましたから、占めたと思って内心喜んでいたのですが、思いもかけぬ因縁に引かされて、自分から進んで行くようなことになりましたので……というのは、こんな訳です。  その出発にきまった前日の夕方に……それは何日であったか忘れてしまいましたが、私がリヤトニコフや仲間の分隊の者に「お別れ」を云いに司令部から帰って来ますと、分隊の連中はどこかへ飲みに行っているらしく室の中には誰も居ません。ただ隅ッこの暗い処にリヤトニコフがたった一人でションボリと、革具の手入れか何かをしていましたが、私を見ると急に立ち上って、何やら意味ありげに眼くばせをしながら外へ引っぱり出しました。その態度がどうも変テコで、顔色さえも尋常でないようです。そうして私を人の居ない廏《うまや》の横に連れ込んで、今一度そこいらに人影の無いのを見澄ましてから、内ポケットに手を入れて、手紙の束かと思われる扁平《ひらべっ》たい新聞包みを引き出しますと、中から古ぼけた革のサックを取り出して、黄金色《きんいろ》の止め金をパチンと開きました。見るとその中から、大小二、三十粒の見事な宝石が、キラキラと輝やき出しているではありませんか。  私は眼が眩みそうになりました。私の家は貴族の癖として、先祖代々からの宝石好きで、私も先天的に宝石に対する趣味を持っておりましたので、すぐにもう、焼き付くような気もちになって、その宝石を一粒\宛《ずつ》つまみ上げて、青白い夕あかりの中に、ためつすがめつして検《あらた》めたのですが、それは磨き方こそ旧式でしたけれども、一粒残らず間違いのないダイヤ、ルビー、サファイヤ、トパーズなぞの選《よ》り抜きで、ウラル産の第二流品なぞは一粒も交っていないばかりでなく、名高い宝石\蒐集家《しゅうしゅうか》の秘蔵の逸品ばかりを一粒ずつ貰い集めたかと思われるほどの素晴らしいもの揃いだったのです。こんなものが、まだうら若い一兵卒のポケットに隠れていようなぞと、誰が想像し得ましょう。   三  私は頭がシインとなるほどの打撃を受けてしまいました。そうして開いた口がふさがらないまま、リヤトニコフの顔と、宝石の群れとを見比べておりますと、リヤトニコフは、その、いつになく青白い頬を心持ち赤くしながら、何か云い訳でもするような口調で、こんな説明をしてきかせました。 「これは今まで誰にも見せたことのない、僕の両親の形見なんです。過激派の主義から見ればコンナものは、まるで麦の中の泥粒と同様なものかも知れませんけれども……ペトログラードでは、ダイヤや真珠が溝泥《どぶどろ》の中に棄ててあるということですけれども……僕にとっては生命《いのち》にも換えられない大切なものなのです。……僕の両親は革命の起る三箇月前……去年のクリスマスの晩に、これを僕に呉《く》れたのですが、その時に、こんな事を云って聞かせられたのです。   ……この露西亜には近いうちに革命が起って、私たちの運命を葬るようなことに  成るかも知れぬ。だからこの家の血統を絶やさない、万一の用心のために、誰でも  意外に思うであろうお前にこの宝石を譲ってコッソリとこの家から逐い出して終  《しま》うのだ。お前はもしかすると、そんな処置を取る私たちの無慈悲さを怨む  かもしれないけれども、よく考えてみると私たちの前途と、お前の行く末とは、ど  ちらが幸福かわからないのだ。お前は活溌な生れ付きで、気象《きしょう》もしっ  かりしているから、きっと、あらゆる艱難辛苦《かんなんしんく》に堪えて、身分  を隠しおおせるだろうと思う。そうして今一度私たちの時代が帰って来るのを待つ  ことが出来るであろうと思う。   ……しかし、もしその時代が、なかなか来そうになかったならば、お前はその宝  石の一部を結婚の費用にして、家の血統を絶やさぬようにして、時節を見ているが  よい。そうして世の中が旧《もと》にかえったならば、残っている宝石でお前の身  分を証明して、この家を再興するがよい……。  ……と云うのです。僕はそれから、すぐに貧乏な大学生の姿に変装をして、モスコーへ来て、小さな家を借りて音楽の先生を始めました。僕は死ぬ程音楽が好きだったのですからね。そうして機会《おり》を見て伯林《ベルリン》か巴里《パリー》へ出て、どこかの寄席か劇場の楽手になり了《お》おせる計画だったのですが……しかしその計画はスッカリ失敗に帰して終ったのです。その頃のモスコーはとても音楽どころか、明けても暮れてもピストルと爆弾の即興交響楽で、楽譜なぞを相手にする人は一人もありませぬ。おまけに僕は間もなく勃興した赤軍の強制募集に引っかかって無理やりに鉄砲を担がせられることになったのです。  ……僕が音楽を思い切ってしまったのはそれからの事でした。何故思い切ったかっていうと、僕の習っていた楽譜はみんなクラシカルな王朝文化式のものばかりで、今の民衆の下等な趣味には全く合いません。そればかりでなく、ウッカリ赤軍の中で、そんなものをやっていると身分が曝《ば》れる虞《おそ》れがありますからね。……ですから一生懸命に隙を見つけて、白軍の方へ逃げ込んで来たのですが、それでもどこに赤軍の間諜《かんちょう》が居るかわかりませんからスッカリ要心をして、口笛や鼻唄にも出しませんでしたが、その苦しさといったらありませんでした。上手なバラライカや胡弓の音《ね》を聞くたんびに耳を押えてウンウン云っていたのですが……そうして一日も早く両親の処へ帰りたい……上等のグランドピアノを思い切って弾いてみたいと、そればかり考え続けていたのですが……。  ……ところが、ちょうど昨夜の事です。分隊の仲間がいつになくまじめになって、何かヒソヒソと話をし合っているようですから、何事かと思って、耳を引っ立ててみますと、それは僕の両親や同胞《きょうだい》たちが、過激派のために銃殺されたという噂だったのです。……僕はビックリして声を立てるところでした。けれども、ここが肝腎のところだと思いましたから、わざと暗い処に引っ込んで、よくよく様子を聞いてみますと、僕の両親が、何も云わずに、落ち付いて殺された事や、僕を一番好いていた弟が銃口の前で僕の名を呼んで、救けを求めたことまでわかっていて、どうしても、ほんとうとしか思えないのです。……ですから、僕はもう……何の望みも無くなって……あなたにお話ししようと思っても、生憎《あいにく》勤務に行って……いらっしゃらないし……」  と云ううちに涙を一パイに溜めてサックの蓋を閉じながら、うなだれてしまったのです。  私は面喰《めんくら》ったが上にも面喰らわされてしまいました。腕を組んだまま突立って、リヤトニコフの帽子の眉庇《まびさし》を凝視しているうちに、膝頭がブルブルとふるえ出すくらい、驚き惑っておりました。……まさかに、それ程の身分であろうとは夢にも想像していないのでした。  実を云うと私は、その前日の勤務中に司令部で、同じような噂をチラリと聞いておりました。……ニコラス廃帝が、その皇后や、皇太子や、内親王たちと一緒に過激派軍の手で銃殺された……ロマノフ王家の血統はとうとう、こうして凄惨な終結を告げた……という報道があったことを逸早《いちはや》く耳にしているにはいたのですが、その時は、よもやソンナ事があろう筈はないと確信していました。いくら過激派でも、あの何も知らない、無力な、温順なツアールとその家族に対して、そんな非常識な事を仕掛ける筈はあり得ない……と心の中《うち》で冷笑していたのです。又、白軍の司令部でも、私と同意見だったと見えて、「今一度真偽をたしかめてから発表する。決して動揺してはならぬ」という通牒を各部隊に出すように手筈をしていたのですが……。  とはいえ……仮りにそれが虚報であったとしても、今のリヤトニコフの身の上話と、その噂とを結びつけて考えると、私は実に、重大この上もない事実に直面していることがわかるのです。そんな重大な因縁を持った、素晴らしい宝石の所有者である青年と、こうして向い合って立っている――ということは真に身の毛も竦立《よだ》つ危険千万な運命と、自分自身の運命とを結びつけようとしている事になるのです。  ……但し、……ここに唯一つ疑わしい事実がありました。……というのは他でもありませね。ニコラス廃帝が、内親王は何人《いくたり》も持っておられたにも拘《かか》わらず、皇子としては今年やっと十五歳になられた皇太子アレキセイ殿下以外に一人も持っておられなかったことです。……ですからもし今日只今、私の眼の前に立っている青年が、真に廃帝の皇子で、過激派の銃口を免れたロマノフ王家の最後の一人であるとすれば、オルガ、タチアナ、マリア、アナスタシヤと四人の内親王殿下の中で、一番お若いアナスタシヤ殿下の兄君か弟君か……いずれにしても、そこいらに最も近い年頃に相当する訳なのですが……そうして、これがもしずっと以前の露西亜か、又は外国の皇室ならば、すぐに、そんな秘密の皇子様が、人知れず民間に残っておられることを首肯されるのですが、……しかし最近の吾がロマノフ王家の宮廷内では、斯様な秘密の存在が絶対に許されない事情があったのです。……すなわち、もしニコラス廃帝に、こんな皇子があったとすれば、仮令《たとえ》、どんなに困難な事情がありましょうとも、当然皇子として披露さるべき筈であることがその当時の国情から考えても、わかり切っているのでした。その国情というのはあらかた御存じでもありましょうし、この話の筋に必要でもありませんから略しますが、要するに、その当時のスラヴ民族は、上も下も一斉に、皇儲《こうちょ》の御誕生を渇望しておりましたので、甚しきに到っては、ビクトリア女皇の皇女である皇后陛下の周囲に、独逸《ドイツ》の賄賂《まかない》を受けている者が居る。……皇子がお生まれになる都度に圧殺している者が居る……というような馬鹿げた流言まで行われていたことを、私は祖父から聞いて記憶していたのです。  ……ですから……こうした理由から推して、考えてみますと、現在私の眼の前に宝石のケースを持ったままうなだれて、白いハンケチを顔に当てている青年は、必ずや廃帝に最も親《ちか》しい、何々大公の中の、或る一人の血を引いた人物に違いない……それは、斯様な「身分を証明するほどの宝石」の存在によっても容易に証明されるので、ことによるとこの青年は、その父の大公一家が、廃帝と同じ運命の途連れにされたことを推測しているか……もしくは、その大公の家族の虐殺が、廃帝の弑逆《しいぎゃく》と誤り伝えられている事を、直覚しているのかも知れない……。しかも万一そうとすれば、そうした容易ならぬ身分の人から、かような秘密を打ち明けられるという事は、スラヴの貴族としてこの上もない光栄であり、且つ面目にもなることであるが、同時に、他の一面から考えるとこれは又、予測することの出来ない恐しい、危険千万な運命に、自分の運命が接近しかけていることになる……。  ……と……こう考えて来ました私は、吾れ知らずホーッと大きな溜息をつきました。そうして腕を組み直しながら、今一度よく考え直してみましたが、そのうちに私は又、とても訝《おか》しい……噴飯《ふきだ》したいくらい変テコな事実に気が付いたのです。  ……というのは、この眼の前の青年……本名は何というのか、まだわかりませんが……リヤトニコフと名乗る青年が、この際ナゼこんなものを私に見せて、これ程の重大な秘密を打ち明ける気になったかという理由がサッパリわからない事です。もしかしたらこの青年は、私が貴族の出身であることをアラカタ察していて……且つは親友として信頼し切っている余りに、胸に余った秘密の歎きと、苦しみとを訴えて、慰めてもらいに来たのではあるまいかとも考えてみましたが……。それにしては余りに大胆で、軽率で、それほどの運命を背負って立っている、頭のいい青年の所業《しわざ》とはどうしても思われませぬ。  それならばこの青年は一種の誇大妄想狂みたような変態的性格の所有者ではないか知らん。たった今見せられた夥《おびただ》しい宝石も、私の眼を欺くに足るほどの、巧妙を極めた贋造物《にせもの》ではなかったかしらん。……なぞとも考えてみましたが、いくら考え直しても、今の宝石はそんな贋造物ではない。正真正銘の逸品揃いに違いないという確信が、いよいよ益々高まって来るばかりです。  ……しかし又、そうかといってこの青年に、 「何故《なぜ》その宝石を僕に見せたんですか」  なぞと質問をするのは、私に接近しかけている危険な運命の方へ、一歩を踏み出すことになりそうな予感がします。  ……で……こうして色々と考えまわした揚げ句、結局するところ……いずれにしてもこの場合は何気なくアシラッて、どこまでも戦友同志の一兵卒になり切っていた方が、双方のために安全であろう。これから後も、そうした態度でつき合って行きながら、様子を見ているのが最も賢明な方針に違いないであろう……とこう思い当たりますと、根が臆病者の私はすぐに腹をきめてしまいました。前後を一渡り見まわしてから、如何にも貴族らしく、鷹揚《おうよう》にうなずきながら二ツ三ツ咳払いをしました。 「そんなものは無暗に他人《ひと》に見せるものではないよ。僕だからいいけれども、ほかの人間には絶対に気付かれないようにしていないと、元も子もない眼に会わされるかも知れないよ。しかし君の一身上に就いては、将来共に及ばずながら力になって上げるから、あまり力を落とさない方がいいだろう。そんな身分のある人々の虐殺や処刑に関する風説は大抵二、三度宛伝わっているのだからね。たとえばアレキサンドロウィチ、ミハイル、ゲオルグ、ウラジミルなぞという名前はネ」  と云い云い相手の顔色を窺っておりましたが、リヤトニコフの表情には何等の変調もあらわれませんでした。却ってそんな名前をきくと安心したように、長い溜め息をしいしい顔を上げて涙を拭きますと、何かしら嬉しそうにうなずきながら、その宝石のサックを、又も内ポケットの底深く押し込みました。  ……が……しかし……。私は決して、作り飾りを申しません。あなたに蔑すまれるかも知れませんけど……こんなお話に嘘を交ぜると、何もかもわからなくなりますから正直に告白しますが……。  手早く申しますと私は、事情の奈何《いかん》に拘わらず、その宝石が欲しくてたまらなくなったのです。私の血管の中に、先祖代々から流れ伝わっている宝石愛好慾が、リヤトニコフの宝石を見た瞬間から、見る見る松明《たいまつ》のように燃え上がって来るのを、私はどうしても打ち消すことが出来なくなったのです。そうして「もしかすると今度の斥候旅行で、リヤトニコフが戦死しはしまいか」というような、頼りない予感から、是非とも一緒に出かけようという気持ちになってしまったのです。うっかりすると自分の生命《いのち》が危いことも忘れてしまって……。  しかも、その宝石が、間もなく私を身の毛も竦立《よだ》つ地獄に連れて行こうとは……そうしてリヤトニコフの死後の恋を物語ろうとは、誰が思い及びましょう。   四  私共の居た烏首里《ウスリ》からニコリスクまでは、鉄道で行けば半日位しかかからないのでしたが、途中の駅や村を赤軍が占領しているので、ズット東の方に迂廻して行かなければなりませんでした。それは私共の一隊にとっては実に刻一刻と生命《いのち》を切り縮められるほどの苦心と労力を要する旅行でしたけれども、幸いに一度も赤軍に発見されないで、出発してから十四日目の正午頃に、やっとドウスゴイの寺院の尖塔が見える処まで来ました。  そこは赤軍が占領しているクライフスキーから南へ約八露里(二里)ばかり隔った処で、涯《はて》しもない湿地の上に波打つ茫々《ぼうぼう》たる大草原の左手には、烏首里鉄道の幹線が一直線に白く光りながら横たわっております。その手前の一露里ばかりと思われる向うには、コンモリとしたまん丸い濶葉樹《かつようじゅ》の森林が、ちょうどクライフスキーの町の離れ島のようになって、草原のまん中に浮き出しておりました。この辺の森林という森林は大抵鉄道用に伐《き》ってしまってあるのに、この森だけが取り残されているのは不思議といえば不思議でしたが……その森のまん丸く重なり合った枝々の茂みが、草原の向うの青い青い空の下で、真夏の日光をキラキラと反射しているのが、何の事はない名画でも見るように美しく見えました。  ここまで来るともうニコリスクが鼻の先といってよかったので、私共の一隊はスッカリ気が弛《ゆる》んでしまいました。将校を初め兵士達も皆、腰の処まである草の中から首を擡《もた》げて、やっと腰を伸ばしながら提げていた銃を肩に担ぎました。そうして大きな雑草の株を飛び渡り飛び渡りしつつ、不規則な散開隊形を執って森の方へ行くのでしたが、間もなく私たちのうしろの方から、涼しい風がスースーと吹きはじめまして、何だか遠足でもしているような、悠々とした気もちになってしまいました。先頭の将校のすぐうしろに跟《つ》いているリヤトニコフが帽子を横ッチョに冠りながら、ニコニコと私をふり返って行く赤い頬や、白い歯が、今でも私の眼の底にチラ付いております。  その時です。多分一露里半ばかり距たっている鉄道線路の向う側だったろうと思いますが、不意にケタタマシイ機関銃の音が起って、私たちの一隊の前後の青草の葉を虚空に吹き散らしました。そうしてアッと驚く間もなく、その中《うち》の一発が私の左の股《もも》を突切って行ったのです。  私は一尺ばかり飛び上ったと思うと、横たおしに草の中へたおれ込みました。けれども、それと同時に「傷は股だ。生命《いのち》に別状は無い」と気が付きましたので、草の中に尻餅を突いたままワナワナとふるえる手で剣を抜いてズボンを切り開くと、表皮と肉を抉《えぐ》り取られた傷口へシッカリと繃帯《ほうたい》をしました。そのうちにも引き続いて発射される機関銃の弾丸は、ピピピピピと小鳥の群れのように頭の上を掠《かす》めて行きますので、私は一と縮みになって身を伏せながら、仲間の者がどうしているかと、草の間から見まわしました。こんな処で一人ポッチになるのは死ぬより恐しい事なのですからね。  しかし私の仲間の者は、一人も私が負傷した事に気づかないらしく、皆銃を提げて、草の中をこけつまろびつしながら向うのまん丸い森の方へ逃げて行くのでした。今から考えると余程狼狽していたらしいのですが、そのうちに、どうしたわけか機関銃の音が、パッタリと止んでしまいましたけれども、私の戦友たちは、なおも逃げるのを止めません。やがて、その影がだんだんと小さくなって、森に近づいたと思うと、先登《せんとう》に二人の将校、そのあとから十一名の下士卒が皆無事に森の中へ逃げ込みました。その最後に、かなり逃げ後れたリヤトニコフが、私の方をふり返りふり返り森の根方を這い上《のぼ》って行くのがよく見えましたが、ウッカリ合図をして撃たれでもしては大変と思いましたので、なおも身を屈めて、足の痛みを我慢しながら、一心に森の方を見守って、形勢がどうなって行くかと心配しておりました。  すると又、リヤトニコフの姿が森の中へ消え入ってから十秒も経たないうちに……どうでしょう。その森の中で突然に息苦しいほど激烈な銃声が起ったのです。それは全くの乱射乱撃で、呆れて見ている私の頭の中をメチャメチャに掻《か》きみだすかのように、跳弾があとからあとから恐ろしい悲鳴をあげつつ森の外へ八方に飛び出しているようでしたが、それが又、一分間も経たないうちにピッタリと静まると、あとは又もとの通り、青々と晴れ渡った、絵のようにシインとした原ッパに帰ってしまいました。  私は何だか夢を見ているような気もちになりました。一体何事が起ったのだろうと、なおも一心に森の方を見つめておりましたが、いつまで経っても、森を出て行く人影らしいものは見えず、銃声に驚いたかして、原ッパを渡る鳥の姿さえ見つかりません。  私はそんな光景を見まわしているうちに、何故ということなしに、その森林が、たまらない程恐しいものに思われて来ました。……今聞こえた銃声が敵のか味方のか……というような常識的な頭の働らきよりも、はるかに超越した恐怖心、……私の持って生まれた臆病さから来たらしい戦慄が、私の全身を這いまわりはじめるのを、どうすることも出来ませんでした。……一面にピカピカと光る青空の下で、緑色にまん丸く輝く森林……その中で突然に起って、又突然に消え失せた夥しい銃声、……そのあとの死んだような静寂……そんな光景を見つめているうちに、私は歯の根がカチカチと鳴りはじめました。草の株を掴んでいる両方の手首が氷のように感じられて来ました。眼が痛くなるほど凝視している森の周囲の青空に、灰色の更紗模様みたようなものがチラチラとし始めたと思うと、私は気が遠くなって草の中に倒れてしまいました。もしかするとそれは股の出血が非道かったせいかも知れませんでしたけど……。  それでも、やや暫くしてから正気を回復しますと、私は銃も帽子も打ち棄てたまま、草の中を這いずり始めました。草の根方に引っかかるたんびに、眼も眩むほどズキズキと高潮する股の痛みを、一生懸命に我慢しいしい森の方へ近づいて行きました。  何故その時に、森の方へ近づいて行ったのか、その時の私には全くわかりませんでした。生れつき臆病者の私が、しかも日の暮れかかっている敵地の野原を、堪え難い痛みに喘ぎながら、どうしてそんな気味のわるい森の方へ匍《は》い寄って行く気持ちになったのか……。  ……それは、その時既に私が、眼にも見えぬ或る力で支配されていたというよりほかに説明の仕方がありませんでしょう。常識からいえば、そんな気味のわるい森の方へ行かずに、草の中で日の暮れるのを待って、鉄道線路に出て、闇に紛れてニコリスクの方へ行くのが一番安全な訳ですからね。申すまでもなくリヤトニコフの宝石の事などは、恐ろしい出来事の連続と、烈しい傷の痛みのために全く忘れておりましたし、好奇心とか、戦友の生死を見届けるとかいうような有りふれた人情も、毛頭残っていなかったようです。……唯……自分の行く処はあの森の中にしかないというような気持ちで……そうして、あそこへ着いたら、すぐに何者にか殺されて、この恐しさと、苦しさから救われて、あの一番高い木の梢《こずえ》から、真直ぐに、天国へ昇ることが出来るかもしれぬ……というような、一種の甘い哀愁を帯びた超自然的な考えばかりを、たまらない苦痛の切れ目切れ目に往来させながら、……はてしもなく静かな野原の草イキレに噎《む》せかえりながら……何とはなしに流るる涙を、泥だらけの手で押しぬぐい押しぬぐい、一心に左足を引きずっていたようです。……但《ただし》……その途中で二発ばかり、軽い、遠い銃声らしいものが森の方向から聞こえましたから、私は思わず頭を擡《もた》げて、恐る恐る見まわしましたが、やはり四方《あたり》には何の物影も動かず、それが本当の銃声であったかどうかすら、考えているうちにわからなくなりましたので、私は又も草の中に頭を突込んで、ソロソロと匍いずり始めたのでした。   五  森の入口の柔らかい芝草の上に私が匍い上った時には、もうすっかり日が暮れて、大空が星だらけになっておりました。泥まみれになった袖口や、ビショビショに濡れた膝頭や、お尻のあたりからは、冷気がゾクゾクとしみ渡って来て、鼻汁と涙が止め度なく出て、どうかすると嚔《くしゃみ》が飛び出しそうになるのです。それを我慢しいしい草の上に身を伏せながら、耳と眼をジッと澄まして動静《ようす》をうかがいますと、この森は内部《なか》の方までかなり大きな樹が立ち並んでいるらしく、星明かりに向うの方が透いて見えるようです。しかも、いくら眼を瞠《みは》り、耳を澄しても人間の声は愚か、鳥の羽ばたき一ツ、木の葉の摺れ合う音すらきこえぬ静けさなのです。  人間の心というものは不思議なものですね。こうしてこの森の中には敵も味方も居ない……全くの空虚であることが次第にわかって来ると、何がなしにホッとすると同時に、私の平生《へいぜい》の気弱さが一時に復活して来ました。こんな気味のわるい、妖怪《おばけ》でも出て来そうな森の中へ、たった一人で、どうして来たのかしらん……と気が付くと、思わずゾッとして首をちぢめました。軍人らしくもない性格でありながら軍人になって、こんな原ッパのまん中に遥《は》る遥《ば》るとやって来て、たった一人で傷つきたおれている自分の運命までもが、今更にシミジミとふり返られて、恐ろしくて堪らなくなりましたので、すぐにも森を出ようとしましたが、又思い返してジッと森の中の暗を凝視しました。  私がリヤトニコフの宝石の事を思い出したのは、実にその時でした。リヤトニコフは……否、私たちの一隊は、もしかするとこの森の中で殺されているかも知れぬ……と気が付いたのもそれと殆んど同時でした。  ……早くから私たちの旅行を発見していた赤軍は、一人も撃ち洩らさない計略を立てて、あの森に先廻りをしていた。そうして私たちをあの森に追い込むべく、不意に横合いから機関銃の射撃をしたものと考えれば、今までの不思議がスッカリ解決される。しかも、もしそうすれば私たちの一隊は、この森の中で待ち伏せしていた赤軍のために全滅させられている筈で、リヤトニコフも無論助かっている筈はない。赤軍はそのあとで、私が気絶しているうちに線路へ出て引き上げたのであろう……と、そう考えているうちに私の眼の前の闇の中へ、あのリヤトニコフの宝石の幻影がズラリと美しく輝やきあらわれました。  私は今一度、念のために誓います。私は決して作り飾りを申しませぬ。この時の私はもうスッカリ慾望の奴隷になってしまっていたのです。あの素晴らしい宝石の数十粒がもしかすると自分のものになるかも知れぬ、という世にも浅ましい望み一つのために、苦痛と疲労とでヘトヘトになっている身体《からだ》を草の中から引き起して、インキ壺の底のように青黒い眼の前の暗《やみ》の中にソロソロと這い込みはじめたのです。……戦場泥棒……そうです。この時の私の心理状態を、あの人非人でしかあり得ない戦場泥棒の根性と同じものに見られても、私は一言の不服も申し立て得ないでしょう。  それからすこし森の奥の方へ進み入《い》りますと、芝草が無くなって、枯れ葉と、枯れ枝ばかりの平地になりました。それにつれて身体中の毛穴から沁み入るような冷たさ、気味わるさが一層深まって来るようで、その枯れ葉や枯れ枝が、私の掌《てのひら》や膝の下で砕ける、ごく小さな物音まで、一ツ一ツに私の神経をヒヤヒヤさせるのでした。  そのうちに、だんだんと奥の方へ這入るにつれて、恐怖に慣れたせいか、いろんな事がハッキリとわかって来ました。……この森には昔、砦か、お寺か、何かがあったらしく、処々に四角い、大きな切石が横たわっていること。時々人が来るらしく、落ち葉を踏み固めたところが連続していること。そうして今は全く人間が居ないので、今まで来る間に死骸らしいものには一つも行き当らず、小銃のケースや帽子なぞいう戦闘の遺留品にも触れなかったことから推測すると、味方の者は無事にこの森を出たかも知れない……ということなぞ。……そのうちに、積り積った枯れ葉の山が、匍っている私の掌に生あたたかく感ぜられるようになりました時、私はちょうど森のまん中あたりに在る、すこしばかりの凹地に来たことを知りました。そこから四辺《あたり》を見まわしますと、森の下枝ごしに四辺の原ッパが薄明るく見えるのです。  私は安心したような……同時にスッカリ失望したような、何ともしれぬ深いため息をして、その凹地のまん中に坐りこみました。思い切って大きな嚔《くしゃみ》を一つしながら頭の上をふりあおぐと、高い高い木の梢の間から、微かな星の光りが二ツ三ツ落ちて来ます。それを見上げているうちに、私はだんだんと大胆になって来たらしく、やがて、いつもポケットに入れているガソリンマッチの事を思い出しました。  私はその凹地のまん中でいく度もいく度も身を伏せて四方《あたり》のどこからも見えないことを、たしかめますと、すぐに右のポケットからガソリンマッチを取り出して、手元を低くしながら、自動点火仕掛の蓋をパット開きました。その光りをたよりにソロソロと頭を擡げて、まず鼻の先に立っている、木の幹かと思われていた白いものをジッと見定めましたが、間もなく声も立て得ずにガソリンマッチを取り落してしまいました。  けれどもガソリンマッチは地に落ちたまま消えませんでした。そこいらの枯れ葉と一緒にポツポツと燃えているうちにケースの中からガソリンが洩れ出したと見えて、見る見る大きく、ユラユラと油煙をあげて燃え立ち始めました。けれども私はそれを消すことも、どうすることも出来ずに、尻餅をついたまま、ガタガタと慄えているばかりでした。  私の居る凹地を取り捲いた巨大な樹の幹に、一ツ宛《ずつ》丸裸体の人間の死骸が括《くく》りつけてあるのです。しかも、よく見ると、それは皆最前まで生きていた私の戦友ばかりで、めいめいの襯衣《シャツ》か何かを引っ裂いて作ったらしい綱で、手足を別々に括って、木の幹の向うへ、うしろ手に高く引っぱりつけてあるのですが、そのどれもこれもが銃弾で傷ついている上に、そうした姿勢で縛られたまま、あらゆる残虐な苦痛と侮辱とをあたえられたものらしく、眼を抉り取られたり、歯を砕かれたり、耳をブラリと引き千切《ちぎ》られたり、股の間をメチャクチャに切りさいなまれたりしています。そんな傷口の一つ一つから、毛糸の束のような太い、または細長い血の紐を引き散らして、木の幹から根元までドロドロと流しかけたまま、グッタリとうなだれているのです。口を引き裂かれて馬鹿みたような表情にかわっているもの……鼻を切り開かれて笑っているようなもの……それ等がメラメラと燃え上る枯れ葉の光りの中で、同時にゆらゆらと上下に揺らめいて、今にも私の上に落ちかかって来そうな姿勢に見えます。  そんな光景を見まわしている間が何分間だったか、何十分だったか、私は全く記憶しません。そうして胸を抉られた下士官の死骸を見つめている時には、自分の胸の処を、釦《ボタン》が千切れる程強く引っ掴んでいたようです。咽喉を切り開かれている将校を見た時には、血の出るのも気付かずに、自分の咽喉仏の上を掻きむし[#「むし」は「てへん+劣」30-16]っていたようです。下あご[#「あご」は「つきへん+咢」30-16]を引き放されて笑っているような血みどろの顔を見あげた時には、思わず、ハッハッと喘ぐように笑いかけたように思います。  ……現在の私が、もし人々の云う通りに精神病患者であるとすれば、その時から異常を呈したものに違いありません。  すると、そのうちに、こうして藻掻《もが》いている私のすぐ背後で、誰だかわかりませんが微かに、歎《た》め息をしたような気はいが感ぜられました。それが果して生きた人間のため息だったかどうかわかりませんが、私は、何がなしにハッとして飛び上るように背後をふり向きますと、そこの一際大きな樹の幹に、リヤトニコフの屍体が引っかかって、赤茶気た枯れ葉の焔にユラユラと照らされているのです。  それはほかの屍体と違って、全身のどこにも銃弾のあとがなく、又虐殺された痕跡も見当りませんでした。唯その首の処をルパシカの白い紐で縛って、高い処に打ち込んだ銃剣に引っかけてあるだけでしたが、そのままにリヤトニコフは、左右の手足を正しくブラ下げて、両眼を大きく見開きながら、まともに私の顔を見下しているのです。  ……その姿を見た時に私は、何だかわからない奇妙な叫び声をあげたように思います。……イヤイヤ。それは、その眼付が、怖ろしかったからではありません。  ……リヤトニコフは女性だったのです。しかもその乳房は処女の乳房だったのです。  ……ああ……これが叫ばずにおられましょうか。昏迷せずにおられましょうか。……ロマノフ、ホルスタイン、ゴットルブ家の真個《ほんとう》の末路……。  彼女……私は仮りにそう呼ばせて頂きます……彼女は、すこし後れて森に這入ったために生け捕りにされたものと見えます。そうして、その肉体は明らかに「強制的の結婚」によって蹂躙《じゅうりん》されていることが、その唇を隈取っている猿轡《さるぐつわ》の瘢痕《あと》でも察しられるのでした。のみならず、その両親の慈愛の賜《たまもの》である結婚費用……三十幾粒の宝石は、赤軍がよく持っている口径の大きい猟銃を使ったらしく、空包に籠めて、その下腹部に撃ち込んであるのでした。私が草原を匍《は》っているうちに耳にした二発の銃声は、その音だったのでしょう……そこの処の皮と肉が破れ開いて、内部《なか》から掌《てのひら》ほどの青白い臓腑がダラリと垂れ下っているその表面に血にまみれたダイヤ、紅玉《ルビー》、青玉《サファイヤ》、黄玉《トパーズ》の数々がキラキラと光りながら粘り付いておりました。   六  ……お話というのはこれだけです。……「死後の恋」とはこの事をいうのです。  彼女は私を恋していたに違いありませぬ。そうして私と結婚したい考えで、大切な宝石を見せたものに違いないのです。……それを私が気付かなかったのです。宝石を見た一刹那から烈しい貪慾に囚われていたために……ああ……愚かな私……。  けれども彼女の私に対する愛情はかわりませんでした。そうして自分の死ぬる間際に残した一念をもって、私をあの森まで招き寄せたのです。この宝石を私に与えるために……この宝石を霊媒として、私の魂と結び付きたいために……。  御覧なさい……この宝石を……。この黒いものは彼女の血と、弾薬の煤《すす》なのです。けれども、この中から光っているダイヤ特有の虹の色を御覧なさい。青玉《サファイヤ》でも、紅玉《ルビー》でも、黄玉《トパーズ》でも本物の、しかも上等品でなくてはこの硬度と光りはない筈です。これはみんな私が、彼女の臓腑の中から探り取ったものです。彼女の恋に対する私の確信が私を勇気づけて、そのような戦慄すべき仕事を敢えてさしたのです。  ……ところが……。  この街の人々はみんなこれを贋せ物だと云うのです。血は大方豚か犬の血だろうと云って笑うのです。私の話をまるっきり信じてくれないのです。そうして、彼女の「死後の恋」を冷笑するのです。  ……けれども貴下は、そんな事は仰言らぬでしょう。……ああ……本当にして下さる。信じて下さる、……ありがとう。ありがとう。サアお手を……握手をさして下さい……宇宙間に於ける最高の神秘「死後の恋」の存在はヤッパリ真実でした。私の信念は、あなたによって初めて裏書きされました。これでこそ乞食みたようになって、人々の冷笑を浴びつつ、この浦塩の町をさまよい歩いた甲斐がありました。  私の恋はもう、スッカリ満足してしまいました。  ……ああ……こんな愉快なことはありませぬ。済みませぬがもう一杯乾盃させて下さい。そうしてこの宝石をみんな貴下に捧げさして下さい。私の恋を満足させて下すったお礼です。私は恋だけで沢山です。その宝石の霊媒作用は今日只今完全にその使命を果たしたのです……。サアどうぞお受け取り下さい。  ……エ……何故ですか……。ナゼお受け取りにならないのですか……。  この宝石を捧げる私の気持ちが、あなたには、おわかりにならないのですか。この宝石をあなたに捧げて……喜んで、満足して、酒を飲んで飲んで飲み抜いて死にたがっている私を可愛相とはお思いにならないのですか……。  エッ……エエッ……私の話が本当らしくないって……。  ……あ……貴下もですか。……ああ……どうしよう……ま……待って下さい。逃げないで……ま……まだお話することが……ま、待って下さいッ……。  ああッ……  アナスタシヤ内親王殿下……。 (『新青年』昭和三年十月) ----------------------------------------------------------------- 瓶詰地獄  拝呈 時下益々御清栄、奉慶賀候《ケイガタテマツリソウロウ》。陳者《ノブレバ》、予《カネ》てより御通達の、潮流研究用と覚しき、赤封蝋《フウロウ》附きの麦酒《ビール》瓶、拾得次第\届告《トドケツゲ》仕る様、島民一般に申渡置《モウシワタシオキ》候処、此程、本島南岸に、別小包の如き、樹脂封蝋附きの麦酒瓶が三個漂着致し居るを発見、届出《トドケイデ》申候。右は何《イズ》れも約半里、乃至、一里余を隔てたる個所に、或は砂に埋もれ、又は岩の隙間に固く挟まれ居りたるものにて、よほど以前に漂着致したるものらしく、中味も、御高示の如き、官製\端書《ハガキ》とは相見えず、雑記帳の破片様のものらしく候為め、御下命の如き漂着の時日等の記入は不可能と被為存《ゾンゼラレ》候。然れ共、尚何かの御参考と存じ、三個とも封瓶のまま、村費にて御送附申上候間、何卒御落手\相願度《アイネガイタク》、此段\得貴意《キイヲエ》候 敬具     月   日                           ××島村役場印  海洋研究所 御中 ◇第一の瓶の内容  ああ………この離れ島に、救いの船がとうとう来ました。  大きな二本のエントツの舟から、ボートが二艘、荒波の上におろされました。舟の上から、それを見送っている人々の中にまじって、私たちのお父さまや、お母さまと思われる、なつかしいお姿が見えます。そうして……おお……私たちの方に向って、白いハンカチを振って下さるのが、ここからよくわかります。  お父さまや、お母さまたちはきっと、私たちが一番はじめに出した、ビール瓶の手紙を御覧になって、助けに来て下すったにちがいありませぬ。  大きな船から真白い煙が出て、今助けに行くぞ……というように、高い高い笛の音が聞こえて来ました。その音が、この小さな島の中の、禽鳥《トリ》や昆虫《ムシ》を一時に飛び立たせて、遠い海中《ワダナカ》に消えて行きました。  けれども、それは、私たち二人にとって、最後の審判の日のらっぱ[#「らっぱ」は「たけかんむり+孤」37-9]よりも怖ろしい響で御座いました。私たちの前で天と地が裂けて、神様のお眼の光りと、地獄の火焔《ホノオ》が一時に閃めき出たように思われました。  ああ。手が慄《フル》えて、心が倉皇《アワテ》て書かれませぬ。涙で眼が見えなくなります。  私たち二人は、今から、あの大きな船の真正面に在る高い崖の上に登って、お父様や、お母様や、救いに来て下さる水夫さん達によく見えるように、シッカリと抱き合ったまま、深い淵の中に身を投げて死にます。そうしたら、いつも、あそこに泳いでいるフカが、間もなく、私たちを喰べてしまってくれるでしょう。そうして、あとには、この手紙を詰めたビール瓶が一本浮いているのを、ボートに乗っている人々が見つけて、拾い上げて下さるでしょう。  ああ。お父様。お母様。すみません。すみません、すみません、すみません。私たちは初めから、あなた方の愛子《イトシゴ》でなかったと思って諦らめて下さいませ。  又、せっかく、遠い故郷《フルサト》から、私たち二人を、わざわざ助けに来て下すった皆様の御親切に対しても、こんなことをする私たち二人はホントにホントに済みません。どうぞどうぞお赦し下さい。そうして、お父様と、お母様に懐《イダ》かれて、人間の世界へ帰る、喜びの時が来ると同時に、死んで行かねばならぬ、不倖《フシアワセ》な私たちの運命を、お矜恤《アワレミ》くださいませ。  私たちは、こうして私たちの肉体と霊魂《タマシイ》を罰せねば、犯した罪の報償《ツグノイ》が出来ないのです。この離れ島の中で、私たち二人が犯した、それはそれは恐ろしい悖戻《ヨコシマ》の報責《ムクイ》なのです。  どうぞ、これより以上《ウエ》に懺悔することを、おゆるし下さい。私たち二人はフカの餌食になる価打《ネウチ》しか無い、狂妄《シレモノ》だったのですから……。  ああ。さようなら。     神様からも人間からも救われ得ぬ                           哀しき二人より   お父様   お母様    皆々様 ◇第二の瓶の内容  ああ。隠微《カクレ》たるに鑒《ミ》たまう神様よ。  この困難《クルシミ》から救わるる道は、私が死ぬよりほかに、どうしても無いので御座いましょうか。  私たちが、神様の足《アシ》だい[#「だい」は登と几を上下に組み合わせる、39-6]と呼んでいる、あの高い崖の上に私がたった一人で登って、いつも二、三匹のフカが遊び泳いでいる、あの底なしの淵の中を、のぞいてみた事は、今までに何度あったかわかりませぬ。そこから今にも身を投げようと思ったことも、いく度であったか知れませぬ。けれども、そのたんびに、あの憐憫《アワレ》なアヤ子の事を思い出しては、霊魂《タマシイ》を滅亡《ほろぼ》す深いため息をしいしい、岩の圭角《カド》を降りて来るのでした。私が死にましたならば、あとから、きっと、アヤ子も身を投げるであろうことが、わかり切っているからでした。                        *  私と、アヤ子の二人が、あのボートの上で、附添いの乳母《バアヤ》夫妻や、センチョーサンや、ウンテンシュさん達を、波に浚《サラ》われたまま、この小さな離れ島に漂《ナガ》れついてから、もう何年になりましょうか。この島は年中夏のようで、クリスマスもお正月も、よくわかりませぬが、もう十年ぐらい経っているように思います。  その時に、私たちが持っていたものは、一本のエンピツと、ナイフと、一冊のノートブックと、一個のムシメガネと、水を入れた三本のビール瓶と、小さな新約聖書《バイブル》が一冊と……それだけでした。  けれども、私たちは幸福《シアワセ》でした。  この小さな、緑色に繁茂《シゲ》り栄えた島の中には、稀に居る大きな蟻のほかに、私たちを憂患《ナヤマ》す禽《トリ》、獣、昆虫《ハウモノ》は一匹も居ませんでした。そうして、その時、十一歳であった私と、七ツになったばかりのアヤ子と二人のために、余るほどの豊饒《ユタカ》な食物が、みちみちておりました。キュウカンチョウだの鸚鵡《オウム》だの、絵でしか見たことのないゴクラク鳥だの、見たことも聞いたこともない華麗《ハナヤカ》な蝶だのが居りました。おいしいヤシの実だの、パイナプルだの、バナナだの、赤と紫の大きな花だの、香気《カオリ》のいい草だの、又は、大きい、小さい鳥の卵だのが、一年中、どこかにありました。鳥や魚なぞは、棒切れでたたくと、何ほどでも取れました。  私たちは、そんなものを集めて来ると、ムシメガネで、天日を枯れ草に取って、流れ木に燃やしつけて、焼いて喰べました。  そのうちに島の東に在る岬と磐《いわ》の間から、キレイな泉が潮の引いた時だけ湧いているのを見付けましたから、その近くの砂浜の岩の間に、壊れたボートで小舎《コヤ》を作って、柔らかい枯れ草を集めて、アヤ子と二人で寝られるようにしました。それから小舎のすぐ横の岩の横腹を、ボートの古釘で四角に掘って、小さな倉庫《クラ》みたようなものを作りました。しまいには、外衣《ウワギ》も裏衣《シタギ》も、雨や、風や、岩角に破られてしまって、二人ともホントのヤバン人のように裸体《ハダカ》になってしまいましたが、それでも朝と晩には、キット二人で、あの神様の足《アシ》だい[#「だい」は登と几を上下に組み合わせる、41-3]の崖に登って、聖書《バイブル》を読んで、お父様とお母様のためにお祈りをしました。  私たちは、それから、お父様とお母様にお手紙を書いて大切なビール瓶の中の一本に入れて、シッカリと樹脂《ヤニ》で封じて、二人で何遍も接吻《クチヅケ》をしてから海の中に投げ込みました。そのビール瓶は、この島のまわりを環《メグ》る、潮《ウシオ》の流れに連れられて、ズンズンと海中《ワダナカ》遠くへ出て行って、二度とこの島に帰って来ませんでした。私たちはそれから、誰かが助けに来て下さる目標《メジルシ》になるように、神様の足《アシ》だい[#「だい」は登と几を上下に組み合わせる、41-8]の一番高い処へ、長い棒切れを樹《タ》てて、いつも何かしら、青い木の葉を吊しておくようにしました。  私たちは時々争論《イサカイ》をしました。けれどもすぐに和平《ナカナオリ》をして、学校ゴツコや何かをするのでした。私はよくアヤ子を生徒にして、聖書の言葉や、字の書き方を教えてやりました。そうして二人とも、聖書を、神様とも、お父様とも、お母様とも、先生とも思って、ムシメガネや、ビール瓶よりもズット大切にして、岩の穴の一番高い棚の上に上げておきました。私たちは、ホントに幸福《シアワセ》で、平安《ヤスラカ》でした。この島は天国のようでした。        *  かような離れ島の中の、たった二人切りの幸福《シアワセ》の中に、恐ろしい悪魔が忍び込んで来ようと、どうして思われましょう。  けれども、それは、ホントウに忍び込んで来たに違いないのでした。  それはいつからとも、わかりませんが、月日の経つのにつれて、アヤ子の肉体が、奇蹟のように美しく、麗沢《ツヤヤカ》に長《ソダ》って行くのが、アリアリと私の眼に見えて来ました。ある時は花の精のようにまぶしく、又、ある時は悪魔のようになやましく……そうして私はそれを見ていると、何故かわからずに思念《オモイ》が曚昧《クラ》く、哀しくなって来るのでした。 「お兄さま…………」  とアヤ子が叫びながら、何の罪穢《ケガ》れもない瞳《メ》を輝かして、私の肩へ飛び付いて来るたんびに、私の胸が今までとはまるで違った気もちでワクワクするのが、わかって来ました。そうして、その一度一度毎に、私の心は沈淪《ホロビ》の患難《ナヤミ》に付《ワタ》されるかのように、畏懼《オソ》れ、慄えるのでした。  けれども、そのうちにアヤ子の方も、いつとなく態度《ヨウス》がかわって来ました。やはり私と同じように、今までとはまるで違った…………もっともっとなつかしい、涙にうるんだ眼で私を見るようになりました。そうして、それにつれて何となく、私の身体《カラダ》に触るのが恥かしいような、悲しいような気もちがするらしく見えて来ました。  二人はちっとも争論《イサカイ》をしなくなりました。その代わり、何となく憂容《ウレイガオ》をして、時々ソッと嘆息《タメイキ》をするようになりました。それは、二人切りでこの離れ島に居るのが、何ともいいようのないくらい、なやましく、嬉しく、淋しくなって来たからでした。そればかりでなく、お互いに顔を見合っているうちに、眼の前が見る見る死蔭《カゲ》のように暗くなって来ます。そうして神様のお啓示《シメシ》か、悪魔の戯弄《カラカイ》かわからないままに、ドキンと、胸が轟くと一緒にハッと吾に帰るような事が、一日のうち何度となくあるようになりました。  二人は互いに、こうした二人の心をハッキリと知り合っていながら、神様の責罰《イマシメ》を恐れて、口に出し得ずにいるのでした。万一《モシ》、そんな事をし出かしたアトで、救いの舟が来たらどうしよう…………という心配に打たれていることが、何にも云わないまんまに、二人同志の心によくわかっているのでした。  けれども、或る静かに晴れ渡った午後の事、ウミガメの卵を焼いて食べたあとで、二人が砂原に足を投げ出して、はるかの海の上を辷《スベ》って行く白い雲を見つめているうちにアヤ子はフイと、こんな事を云い出しました。 「ネエ。お兄様。あたし達二人のうち一人が、もし病気になって死んだら、あとは、どうしたらいいでしょうネエ」  そう云ううちアヤ子は、面《カオ》を真赤にしてうつむきまして、涙をホロホロと焼け砂の上に落しながら、何ともいえない、悲しい笑い顔をして見せました。        *  その時に私が、どんな顔をしたか、私は知りませぬ。ただ死ぬ程息苦しくなって、張り裂けるほど胸が轟いて、唖のように何の返事もし得ないまま立ち上がりますと、ソロソロとアヤ子から離れて行きました。そうしてあの神様の足《アシ》だい[#「だい」は登と几を上下に組み合わせる、43-18]の上に来て、頭を掻きむし[#「むし」は「てへん+劣」43-18]り掻きむしりひれ伏しました。 「ああ。天にまします神様よ。  アヤ子は何も知りませぬ。ですから、あんな事を私に云ったのです。どうぞ、あの処女《ムスメ》を罰しないで下さい。そうして、いつまでもいつまでも清浄《キヨラカ》にお守り下さいませ。そうして私も…………。  ああ。けれども…………けれども…………。  ああ神様よ。私はどうしたら、いいのでしょう。どうしたらこの患難《ナヤミ》から救われるのでしょう。私が生きておりますのはアヤ子のためにこの上もない罪悪《ツミ》です。けれども私が死にましたならば、尚更深い、悲しみと、苦しみをアヤ子に与えることになります、ああ、どうしたらいいでしょう私は…………。  おお神様よ…………。  私の髪毛《カミノケ》は砂にまみれ、私の腹は岩に押しつけられております。もし私の死にたいお願いが聖意《ミココロ》にかないましたならば、只今すぐに私の生命《イノチ》を、燃ゆる閃電《イナズマ》にお付《ワタ》し下さいませ。  ああ。隠微《カクレ》たるに鑒給《ミタ》まう神様よ。どうぞどうぞ聖名《ミナ》を崇めさせ給え。み休徴《シルシ》を地上にあらわし給え…………」  けれども神様は、何のお示しも、なさいませんでした。藍色の空には、白く光る雲が、糸のように流れているばかり…………崖の下には、真青く、真白く渦捲きどよめく波の間を、遊び戯れているフカの尻尾やヒレが、時々ヒラヒラと見えているだけです。  その青澄んだ、底無しの深淵《フチ》を、いつまでもいつまでも見つめているうちに、私の目は、いつとなくグルグルと、眩暈《クル》めき初めました。思わずヨロヨロとよろめいて、漂い砕くる波の泡の中に落ち込みそうになりましたが、やっとの思いで崖の端に踏み止まりました。…………と思う間もなく私は崖の上の一番高い処まで一跳びに引き返しました。その絶頂に立っておりました棒切れと、その尖端《サキ》に結びつけてあるヤシの枯れ葉を、一思いに引きたおして、眼の下はるかの淵に投げ込んでしまいました。 「もう大丈夫だ。こうしておけば、救いの船が来ても通り過ぎて行くだろう」  こう考えて、何かしらゲラゲラと嘲り笑いながら、残狼《オオカミ》のように崖を馳け降りて、小舎の中へ馳け込みますと、詩篇の処を開いてあった聖書を取り上げて、ウミガメの卵を焼いた火の残りの上に載せ、上から枯れ草を投げかけて焔を吹き立てました。そうして声のある限り、アヤ子の名を呼びながら、砂浜の方へ馳け出して、そこいらを見まわしました…………が…………。  見るとアヤ子は、はるかに海の中に突き出ている岬の大磐の上に跪《ヒザマズ》いて、大空を仰ぎながらお祈りをしているようです。        *  私は二足三足うしろへ、よろめきました。荒浪に取り捲かれた紫色の大磐の上に、夕日を受けて血のように輝いている処女《オトメ》の背中の神々しさ…………。  ズンズンと潮《ウシオ》が高まって来て、膝の下の海藻を洗い漂わしているのも心付かずに、黄金色の滝浪を浴びながら一心に祈っている、その姿の崇高《ケダカ》さ…………まぶしさ…………。  私は身体を石のように固《コワ》ばらせながら、暫くの間、ボンヤリと眼をみはっておりました。けれども、そのうちにフイッと、そうしているアヤ子の決心がわかりますと、私はハッとして飛び上がりました。夢中になって馳け出して、貝殻ばかりの岩の上を、傷だらけになって辷りながら、岬の大磐の上に這い上りました。キチガイのように暴《ア》れ狂い、哭き喚《サケ》ぶアヤ子を、両腕にシッカリと抱き抱えて、身体中血だらけになって、やっとの思いで、小舎の処へ帰って来ました。  けれども私たちの小舎は、もうそこにはありませんでした。聖書や枯れ草と一緒に、白い煙となって、青空のはるか向うに消え失せてしまっているのでした。        *  それから後の私たち二人は、肉体《カラダ》も霊魂《タマシイ》も、ホントウの幽暗《クラヤミ》に逐《オ》い出されて、夜となく、昼となく哀哭《カナシ》み、切歯《ハガミ》しなければならなくなりました。そうしてお互い相抱き、慰さめ、励まし、祈り、悲しみ合うことは愚か、同じ処に寝る事さえも出来ない気もちになってしまったのでした。  それは、おおかた、私が聖書を焼いた罰なのでしょう。  夜になると星の光りや、浪の音や、虫の声や、風の葉ずれや、木の実の落ちる音が、一ツ一ツに聖書の言葉をささ[#「ささ」は「くちへん+耳」47-1]やきながら、私たち二人を取り巻いて、一歩一歩と近づいて来るように思われるのでした。そうして身動き一つ出来ず、微睡《マドロ》むことも出来ないままに、離れ離れになって悶えている私たち二人の心を、窺視《ウカガイ》に来るかのように物怖ろしいのでした。  こうして長い長い夜が明けますと、今度は同じように長い長い昼が来ます。そうするとこの島の中に照る太陽も、唄う鸚鵡《オウム》も、舞う極楽鳥も、玉虫も、蛾も、ヤシも、パイナプルも、花の色も、草の芳香《カオリ》も、海も、雲も、風も、虹も、みんなアヤ子の、まぶしい姿や、息苦しい肌の香《カ》とゴッチャになって、グルグルグルグルと渦巻き輝やきながら、四方八方から私を包み殺そうとして、襲いかかって来るように思われるのです。その中から、私とおんなじ苦しみに囚われているアヤ子の、なやましい瞳《メ》が、神様のような悲しみと悪魔のようなホホエミとを別々に籠めて、いつまでもいつまでも私を、ジイッと見つめているのです。        *  鉛筆が無くなりかけていますから、もうあまり長く書かれません。  私は、これだけの虐遇《ナヤミ》と迫害《クルシミ》に会いながら、なおも神様の禁責《イマシメ》を恐れている私たちのまごころを、この瓶に封じこめて、海に投げ込もうと思っているのです。  明日《アシタ》にも悪魔の誘惑《イザナイ》に負けるような事がありませぬうちに…………。  せめて二人の肉体《カラダ》だけでも清浄《キヨラカ》でおりますうちに……。        *  ああ神様…………私たち二人は、こんな苛責《クルシミ》に会いながら、病気一つせずに、日に増し丸々と肥って、康強《スコヤカ》に、美しく長《ソダ》って行くのです、この島の清らかな風と、水と、豊穣《ユタカ》な食物《カテ》と、美しい、楽しい、花と鳥とに護られて…………。  ああ。何という恐ろしい責め苦でしょう。この美しい、楽しい島はもうスッカリ地獄です。  神様、神様。あなたはなぜ私たち二人を、一思いに屠殺《コロ》して下さらないのですか…………。                         ――太郎記す……… ◇第三の瓶の内容  オ父サマ。オ母サマ。ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニ、コノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。                           市 川  太 郎                            イチカワ アヤコ (『猟奇』昭和三年十月) ----------------------------------------------------------------- 悪魔祈祷書  いらっしゃいまし。お珍らしい雨で御座いますナアどうも……こうもダシヌケに降り出されちゃ敵いません。  いつも御贔屓になりまして……ま……おかけ下さいまし。一服お付けなすって……ハハア。傘をお持ちにならなかった。ヘヘ、どうぞ御ゆっくり……そのうち明るくなりましょう。  どうもコンナにお涼しくなりましてから雷鳴《はやしかた》入りの夕立なんて可笑しな時候で御座いますなあ。まったく……まだ五時だってえのに電燈《でんき》を灯けなくちゃ物が見えねえなんて……店ん中に妖怪《おばけ》でも出そうで……もっとも古本屋なんて商売は、あんまり明るくちゃ工合が悪う御座いますナ。西日が一パイに這入るような店だと背皮《クロス》がミンナ離れちゃいますからね。ヘヘヘ……。  失礼ですが旦那は東京のお方で……ハハア。東京の大学からコチラへ御転任になった。○○科にお勤めになっていらっしゃる……成る程。コンナ時候のいい時は大してお忙しく御座んせんで……ヘヘ。恐れ入りやす。開業医だったら大損で……まったく大学って処は有り難い処で御座いますなあ。  実は私《あっし》もコレで東京生れなんで。竜閑橋ってえ処の猫の額みたいなケチな横町で生れたもんでゲスが、ヘヘヘ。これでも若い時分は弁護士になろうてんで、神田の東洋法律学校へ通いまして六法全書なんかをヒネクリまわしていたもんですが、生れ付きのナマクラでね。小説を読んでゴロゴロしたり、女の尻《けつ》ばかり追いまわしたりして、さっぱりダラシが御座んせん。両親が亡くなりますと一気に、親類には見離される。苦学する程の骨ッ節もなし。法界節の文句通りに仕方がないからネエエ――てんで、月琴を担いで上海にでも渡って一旗上げようかテナ事で、御存じの美土代町の銀行の石段にアセチレンを付けて、道楽半分に買集めていた探偵小説の本だの教科書の貰い集めだのを並べたのが病み付きで、とうとう古本屋《ほんもの》になっちまいましてね。ヘヘヘ。その中《うち》に嬶《かかあ》が出来たり餓鬼が出来たり何かしてマゴマゴしている中にコンナに頭が禿げちゃっちゃあモウ取返《とりけえ》しが付きやせん。まあまあナマクラ者にゃ似合い相当のところでげしょう。文句はありませんや。  ヘエヘエ。それあ、この××クンダリへ流れて来るまでにゃガラ相当の苦労も致しやしたよ。途中で古本屋《しょうばい》がイヤンなっちゃって、見よう見真似の落語家《はなしか》になったり、幇間《たいこもち》になったりしましたが、やっぱり皮切りの商売がよろしいようで、人間迷っちゃ損で御座いますナ。だんだん呼吸をおぼえて来ると面白い事もチョイチョイ御座いますナ。ヘエ……粗茶で御座いますが一服いかが様で……ドウゾごゆっくり……。  コンナに降りますと、お客様もお見えになりませんな。いつ来て見ても、お客様が一人立っておいでになる古本屋なら、大丈夫立って行くものです。ですから一人もお客様がお見えにならないと手前が自分でサクラになってノソノソ降りて行きまして、本棚なぞを整理致しておりますんで……これがマア商売のコツで御座いますナ。つまりその一人立っている人間が店の囮になるんで……通りかかりの方が店を覗いて御覧になった時に、誰か一人本棚の前に突立って本を読むか何か致しておりますとツイ釣り込まれてふらふらと這入ってお出でになる。群衆心理というもので御座いますかな……そのアトから又一人フラフラっと……てな訳で……。イヤどう致しまして……先生にお茶を差上げて囮に使っている訳じゃ御座んせん。ハハハ。コンナ大降りの時にはイクラ囮を使ったって利き目は御座んせん。ヘヘヘヘ。恐れ入ります。どうぞお構いなく御ゆっくりと……。  ヘエヘエ。それは面白いお話も御座いますよ。ツイこの間の事……高等学校の生徒さんがゲーテの詩集を売りに見えましてね。ほかの参考書や何かと一緒に十冊ばかりを三円で頂戴いたしましたが、その中でも、ゲーテの詩集が特別に古いようですから、あとでよく調べてみますとドウです。千七百八十年に独逸《ドイツ》で出版されたヤツの第一版なんで、おまけにその見返しの処にぬたくっている持主署名《オーナシグネチャ》をよく見ますと、どうしてもシルレルとしか読めません。それからコチラの法文科で古書を集めておいでになる中江\学長《せんせい》さんのお宅へ持って参りましたらドウデス。七十円でお買上げになりましたよ。……何でもそのゲーテの詩集が出ました千七百八十年の夏でしたか秋でしたかに、詩聖のシルレルが、その第一版を買って読んでいる中《うち》に、 「コンナ下らない詩集なんかモウ読んでやらないぞ」  てんで地面《じびた》にタタキ付けた。それから又拾い上げて先の方を読んで行くうちに、今度は三拝九拝して涙を流しながら、 「ゲーテ様。あなたは詩の神様です。私は貴方のおみ足の泥を嘗めるにも足りない哀れな者です」  とか何とか云ってオデコの上に詩集を押付けたってえ話が残っている。それがこの本に違いない。独逸人に持たせたら十万マークでも手放さないだろうテンデ、アトから中江先生が説明して下さいましたがね。お人が悪うがすよ中江先生は……ハハハ。もっとも私《あっし》もこの本は東京へ持って行けあ汽車賃ぐらいの事じゃなさそうだ……ぐらいの事はカン付いていましたがね。慾をかわいたって仕様が御座んせん。  ヘエヘエ。今度ソンナのが出ましたらイの一番に先生の処へ持ってまいります。大学の○○科で……ヘエ。助教授室……ヘエヘエ。何卒《どうぞ》よろしく御願い致します。  ヘエヘエ。法文科の中江先生ですか。よく手前どもの処へお見えになりますよ。古い本をお探しになるのが何よりのお楽しみだそうですね。いいお道楽ですよマッタク……古本屋《しょうばいにん》てものは元来、眼の見えない者が多いんだが、お前は割合によくわかるから、話相手になると仰言ってね……ヘヘヘ。手前味噌で恐れ入ります。いつも御指導を願っております。  御覧の通り手前共では、学生さんが御相手でげすから、横文字の書物なら全部、大きく原書と書いた貼札をして同じ棚に並べておきますので……ところがこの間ウッカリ、  CHOHMEY KAMO'S HOJOKY  って書いた奴を、何だかよく判らないでパラパラッと見たまんまに原書って書いた札をデカデカと貼って二円の符牒を付けておきましたら、中江先生がソイツを棚の中から引っこ抜いてお出でになって、私の鼻の先に突付けて、お叱りになったものです。 「しっかりしてくれなくちゃ困る」  てえ御立腹なんで……成る程、よく読んでみますと鴨の長明の方丈記の英訳なんで。ハッハッハッ。ドッチが原書なんだか訳がわかりませんや。まったく恐れ入りましたよ。方丈記の英訳の中でも一番古いものだからと仰言って二十円で買って頂きましたよ。ゲーテの詩集の埋合わせをして頂いたようなもので。ヘヘヘヘヘ……。  まったくで御座いますよ。そのまま二円で買って行かれたって文句は御座いません。中江先生みたいなお方ばっかりだったら、苦労は御座んせんが、タチの悪いお客もずいぶん御座いますよ。ソレア……一冊丸ごと立読みなんて図々しいのはショッチュウの事なんで、その又読み方の早いのには驚きますよ。店の本の上に腰をかけて、足の下を吸殻だらけにしいしい一冊読んじゃってから、私の処へ持って来て、 「オイ君。この本一円きり負からないのかい。大して面白い本でもないぜ」  なんて顔負けしちゃいます。大きなお世話でサア……文科の生徒さんなんかは、試験前にチョイチョイ来て、アノ棚の上の大きなウエブスターの辞書だの大英百科全書《エンサイクロペデア》を抱え下して、入り用な字を引いちゃってから、そのまま置きっ放しぐらいは構いませんが、ノートに控えるのが面倒臭いんでしょう。その一頁をソッと破って持って行くんですから非道うがすよ。よく聞いてみると大学校には修身てえ学科が無えんだそうで……呆れて物が云えませんや。  もっと非道いのがありますよ。丸ごと本を持って行ってしまうんです。つまり万引ですね。しかもその万引の手段てえのが、トリック付きなんですから感心しちゃいまさあ。  自分で一冊か二冊、つまらない別の本を裸で抱えて、如何にも有閑学生か、有閑インテリらしい気分と面構えで飄然と往来から這入って来るんですね。最初から狙っている本はチャントきまっているんですが、直ぐにその本の処へ行くようなヘマは決してやりません。そこが手なんだろうと思うんですが、依然として風来坊を気取りながらアチコチと棚を見上げ見下げして行く中《うち》に、如何にも自然に狙った本へ近付いて行く。そこで不承不承のイヤイヤながらの事の序だといった格好で、その本の包装を引抜いて、気永く内容を読んでいるふりをしているんです。そうなるとこっちだってデパートの刑事さんじゃなし、最初から疑っているんじゃありませんから、ツイ眼を外らしてしまいますと、そこを狙っているんですね。つまらなさそうな顔をしてその本を棚に返す……と思ったら大間違いの豈《あに》計らんやでげす。返すと見えたのは包装のボール箱だけ……又は用意して来た、ほかの下らない本を詰めたりしてモトの隙間へ突込んで、入用な本《やつ》はチャント脇の下に挟みながら……チェッ。碌な本は在りやがらねえ……といったような格好で悠々とバットの煙を輪に吹きながら出て行くんだから大した度胸でげす。考えたもんですなあ。  ええ……それあ一時の出来心もありましょうが、ズット前からの出来心も御座いましょうよ。何しろ修身の無え学校の生徒さんでゲスから油断も隙もあれあしません。コンナ手を矢鱈に使われちゃやり切れませんや。  しかもソレが脛っ噛りの学生さんばっかりじゃ御座んせん。相当の月給を取っておいでになる修身の本家本元みたいな立派な紳士の方が、時々この手をお出しになるんですから驚きますよ。ヘヘヘ。大学の先生方もチョイチョイお見えになります。こっちの達人の方もおいでにならないじゃ御座んせんが、なかなか鮮やかなお手附のようです。ヘヘヘ。まさかお修身の代りに講義《レクチュア》で生徒さんに御伝授になる訳でも御座いますまいがね。どうもお手際が生徒さん達よりも水際立っているようです。第一御風采がお立派ですからマサカと思ってツイ油断しちまいまさア。  もっともソンナのは大抵御本好きの方に限るようですね。珍しい本と思えば高価《たか》そうだし、欲しさは欲しし……店番のオヤジの面ア間抜けに見えるし……てんで、相当お立派な御人格の方がツイ、フラフラとお遣りになるのが病み付きになってダンダン面白くなって来る。そこんとこだけは良心が磨り切れちゃってトテモ人間業とは思えないくらい大胆巧妙になっておいでになるんですから、お相手を仰《おおせ》付けられた本屋は叶いませんや。……しかし有り難いもので……何度もその手を喰って慣れて参りますと大抵わかりますよ。どうもあの人が臭いってね。丁稚が云うものですから、気を附けておりますと手口から何からスッカリわかっちまいます。しまいには入口からノッソリ這入ってお出でになる態度を見ただけでもアラカタ見当が附いて来ます。……サテはオヤリ遊ばすな……とか遊ばさないナ……とかね。ヘヘヘ。  面白いのはその万引した本を、持って帰って読んでしまってから、ソッと返しに来る人があるのです。御承知の通りこの頃の小説本と来たら、昔のエライ連中が書いたのと違って、一度読んじゃったら二度と読む気になれないものが多いらしいんです。又は持って帰って読んでみると大した本でも珍らしい本でもなかったらしいんですね。ですから何も良心に背反《そむ》いてまで泥棒して来るほどのシロモノじゃなかった……と思って返しにお出でになるんだか……それとも最初からチョット借りて、中味の減らないようにソーッと読んで、返して下さるおつもりだったのかどうだか、ソノ辺のところがコチラでは何とも見当が附きかねますがね。良心があるんだかないんだか、紳士的なんだか、超特級の泥棒根性なんだか……無賃乗車で行って用を足して引返して来て、乗らない顔をしているみたいなもので、ややこしい心理状態もあればあるものですね。  ヘエヘエそれあ、まったく返って来ないのも随分ありますよ。そんなお顔はコチラでチャント存じておりますがね。そこが商売冥利って奴で、黙って知らん顔をしております。元値を考えたら大したもんじゃ御座んせんしね。ショッチュウ気を付けてケースの中味が在るか無いか調べなくちゃならないのが面倒臭い位のもんでさ。そうして中味が変っているか、抜けているかしている本の前に立っておられた方を、あの方、この方と思い出しているうちに、だんだんお人柄がわかって参りますから不思議なもンで……この間コンナのがありましたよ。これは又物スゴイ、素敵な本でしたが……。  ××医専の生徒さんが夏休みに持込んで御座った本だったと思いますがね。御本人は××の××の方で、先祖代々から伝わって来た聖書だと仰言ってね。一冊三円で頂戴いたしましたが、例の通り店番の片手間にここに座ってよく調べてみますと驚きましたね。チョット見ると活字みたいですが、一六二六年に英国で出来た筆写本なんです。紙が又大した紙でね。日本の百円札みたいなネットリした紙にミッチリと書詰めたもので、黒い線に青と赤の絵具を使った挿絵まで這入っているんですから、それだけでも大層な珍本でげしょう。  ところがソレだけの事なら私《あっし》も格別驚きません。金さえ出せば日本内地でも、相当にお眼にかかれるシロモノなんですが、肝を潰したのは、その聖書の文句でげす。あれが悪魔の聖書とでもいったものでしょうか……これこそ世界中にタッタ一冊しかないと噂に聞いたシュレーカーのBOOK OF DEVIL PRAYER《外道祈祷書》かと思うと私《あっし》は気が遠くなって、真夏の日中にガタガタ震え出したものでげす。  ヘエ……先生はソンナ書物《ほん》の事をお聞きにならない。ヘエ。そうですか。著者の名前はたしかデュッコ・シュレーカーと読むんだろうと思いましたがね。むずかしい綴りの名前でしたっけが……何でも百年ばかり前の事だそうですがね。有名な英国のロスチャイルドってえ億万長者の二男でしたか三男でしたかが十万ポンドの懸賞付きで探したことがあるってえ仲間の無駄話を、東京に居る時分に小耳に挟んでいるにはおりましたがね。マサカその実物《ほんもの》に、お眼にかかろうたあ思いませんでしたよ。  ヘエ。表紙はズット大型の黒い皮表紙なんで……HOLY・BIBLEと金文字の刻印が打込んであって、牛だか馬だかわかりませんが、頑丈な生皮の包箱《ケース》に突込んであります。この包箱の見返しの中央にMICHAEL・SHIROと読める朱墨と、黒い墨の細かい組合わせ文字の紋章みたいなものが、消え消えに残っているところを見ますと、私《あっし》のカンでは多分天草一揆頃日本に渡って来て、ミカエル四郎と名乗る日本人が秘蔵してたものじゃないか知らんと……ヘエヘエ。その四郎が天草四郎だったらイヨイヨ大変ですがね。  ヘエヘエむろんそうですとも。その学生さんは何も知らずに普通の聖書と思って売りに見えたに相違御座んせん。聖書なんてものは信心でもしない限り滅多に読んでみる気がしないものですし、その本を持ち伝えた先祖代々の人も、それがソンナ本だって事を云い伝える事も出来ずに、土蔵《おくら》の奥に仕舞い込んで御座ったんでげしょう。そいつをあの学生さんがホジクリ出して……何だコンナ物、売っチャエ。バアへでも行っちゃえテンで、私《あっし》の処を聞いて持込んでいらっしたものでしょう。聖書なんてものは、今の学生さんにはオヨソ苦手なもんですからね。中味をどこかの一行でも読んでたら持って来る気づかいありませんや。今頃はスッカリ悪魔になり切っちゃって学校なんか止しちゃって、桃色ギャングか何かでブタ箱にでもブチ込まれているでしょうよ。ヘヘヘ……その学生さんの名前とお処はチャント控えておりますから、その中に××のお宅へお伺いしたらキットまだまだ面白い掘出し物があるに違いないと思ってこの二、三日ウズウズしているんですがね。ヘヘヘ。  中味の読出しは、みんな細かい唐草模様の花文字で、途中のチャプタの切り工合から中みだしなんかスッカリ真物《ほんもの》の聖書の通りですし、創世記のブッ付けの四、五行ぐらいはヤッパリ本物の聖書の文句通りですから、誰でも一パイ喰わされるのですが、その四、五行目からの有り難い文句が、イキナリ区切りも何もなしに、トテモ恐ろしい文句に変わって来るのです。つまり悪魔の聖書と申しますか。外道祈祷書と申しますか。ソイツを作り出したシュレーカーっていう英国の僧侶《ぼう》さんが、自分の信仰する悪魔の道を世界中に宣伝する文句になっているんですね。昔風な英語ですからチョット読み辛ろうがしたよ。チョット生意気に訳しかけてみた事もあるんですが、ザットこんな風です。 「われ聖徒となりて父の業を継ぎ、神学を学ぶ中《うち》に、聖書の内容に疑《うたがい》を抱き、医薬化学の研究に転向してより、宇宙万有は物質の集団浮動に過ぎず。人間の精神なるものも亦、諸原素の化学作用に外ならざるを知り、従って宗教、もしくは信仰なるものが、その出発点よりして甚だしく卑怯なる智者の、愚者に対する瞞着、詐欺取財手段なるを認め、地上に於て最真実なるものは唯一つ、血も涙も、良心も、信仰もなき科学の精神を精神とする所謂、悪魔精神なる事を信じて疑わざるに到れり。わが生まれいでし心は親兄弟、もしくは羅馬《ローマ》法皇が自分のために都合よく作り出せる所謂『神の心』には非ず。生前の神罰、死後の地獄また在ることなし。何をか恐れ、何をか憚《はばか》らんや。  歴代の羅馬法皇、その他の覇者は皆この悪魔道の礼讃実行者なり。万人の翹望《ぎょうぼう》する上流階級の特権なるものは皆この悪魔道に関する特権に外ならず。人類の日常祈るところの核心《もの》は皆、この外道精神の満足に他ならず。強者は聖書を以て弱者を瞞着し、科学の教うるところの悪魔の力を恣《ほしいまま》にして恥じざらむとす。  全世界の人類よ。皆、虚偽の聖書を棄てて、この真実の外道祈祷書を抱け。われは悪魔道のキリストなり。弱き者。貧しき者。悲しむ者は皆吾に従え」  といったような熱烈な調子で、人類全般に、あらゆる悪事をすすめる文句がノベタラに書いて御座います。私《あっし》はそれを読んで行くうちに、自分の首を絞《しめ》られるような気持になってしまいましたよ。西洋《あちら》には血も涙もない悪党が多い。生肝《いきぎも》取りだの死人《しびと》使い、奴隷売買、人殺し請負いナンテものは西洋人でなくちゃ出来ない仕事だと聞いておりましたがマッタクその通りだと思いましたナ。  その耶蘇《やそ》教の僧侶《ぼう》さんは多分、精神異状者か何かだったのでしょう。そんなつもりで、世界中を悪党だらけにするつもりで、一生懸命に書いたらしく、この世界が「悪」ばっかりで固まっている世界だ……神様なんてものは唯、悪魔の手伝いに出て来た位のもんだっていう事を、出来るだけ念入りに説明しているんです。 「神は弱者のためにのみ存在し、弱者は強者のためにのみ汗水を流し、強者は又、悪魔のためにのみ生存せるもの也」 「世界の最初には物質あり。物質以外には何物もなし。物質は慾望と共に在り。慾望は又、悪魔と共に在り。慾望、物質は悪魔の生れ代り也。故に物質と慾望に最忠実なるものは強者となり悪魔となりて栄え、物質と慾望とを最も軽蔑する者は弱者となり、神となりて亡ぶ。故に神と良心を無視し、黄金と肉慾を崇拝する者は地上の強者也。支配者也」 「強者、支配者は地上の錬金術師也。彼等の手を触るる者は悉《ことごと》く黄金となり、黄金となす能《あた》わざるものは悉く灰となる」 「黄金を作る者は地上の悪魔也。彼等の触るる異性は悉く肉慾の奴隷と化し、肉慾の奴隷と化し能わざる異性は悉く血泥と化《な》る」  というようなアンバイです。  ですからこの悪魔の聖書では、旧約の処が「人類悪」の発達史みたいになっておりましてね。アダムとイブが、神様を信心し過ぎて肉慾を軽蔑している間は、子供が生まれなかった。それから蛇によって象徴《あらわ》された執念深い肉慾に二人が囚われて、信仰をなくしちゃって、エデンの花園を逐われてから、お互いの裸体《はだか》が恥かしくなったお蔭で、子供がドンドン生まれ初めてこの地上に繁殖し初めたんだから、トドのつまりこの地上で栄えるものはエホバの神の御心じゃない。悪魔の心でなくちゃならん……といったような理窟で、人類の罪悪史みたような事が、それからジャンジャン書立ててあるのです。  ……エジプトの王様は代々、自分の妻を一晩毎に取換えて、飽きた女を火焙りにして太陽神に捧げたり、又生きたままナイル河の水神様の鰐《わに》に喰わせたりするのを無上の栄華として楽しんでいた。  ……ペルシャ王ダリオスの戦争の目的は領土でもなければ名誉でもない。捕虜にして来た敵国の女に対する淫虐と、敵国の男性に対する虐殺の楽しみ以外の何ものでもなかった。彼は戦争に勝つ毎に、宮殿の壁や廊下を数万の敵兵の新しい虐殺屍体で飾りその中で敵国の妃や王女を初め、数千の女性の悲鳴を聞いて楽しんだ。そこにダリオスは世界最高の悪魔的文明を感じたのであった。  ……亜歴山《アレキサンドル》大王はアラビヤ人を亡ぼすために、黒死病患者の屍体を荷いだ人夫を連れて行って、メッカの町の辻々でその人夫を一人ずつ斬倒《きりた》おさせた。これはその極端な悪魔的な精神に於て、近代の戦争のやり口をリードしているのみならず、遥かにソンナものを超越した偉いところがあった。流石《さすが》は大王というよりほかなかったものである。  ……露西亜《ロシア》の彼得《ペートル》大帝は、和蘭《オランダ》に行って造船術を習ったと歴史に書いてあるが、これは真赤な偽りで、実際は堕胎術と、毒薬の製法を研究に行ったのだ。彼得大帝は、そうして得た魔力でもって露西亜の宮廷を支配して、あれだけの勢力を得たもので、大帝の属するスラブ人種が、六十幾つの人種を統一して、大露西亜帝国を作ったのも、こうした大帝から魔力を授かったスラブ族の科学智識のお蔭でしかないのだ。  ……こんな調子で世界を支配するものは神様でなくてイツモ悪魔であった。一切の化学の初まりは神様の存在を否定し、人間をその良心から解放するのが目的で、同時に一切の化学の初まりは錬金術であり、一切の医術の初まりは堕胎術と毒薬の研究でしかなかったのである。  ……吾々は歴史に欺むかれてはならない。常に悪魔的な正しい目で歴史を読んで行かないと飛んでもない間違いに陥ることがある。元来ユダヤ人というものは人類の全部をナマケモノにしてコッソリと亡ぼしてしまって、ユダヤ人だけで世界を占領してしまおうと思って、昔から心掛けて来た人種だ。骰子《さいころ》だのルーレットだのトランプだの将棋だのドミノだのいうものは、そんな目的のために猶太《ユダヤ》人が考え出して世界中に教え拡めたものである。しかもその猶太人が、そんな目的のために発明して世界中に宣伝しようとこころみた最後のものがこの基督《キリスト》教なのだから、呆れてモノが云えないではないか。  ……「この世の中の事は何もかも神様の思召《おぼしめし》ばかりだ。神様に祈ってさえいれば、欲しいものは何でも下さるのだから、人間はチットモ働かなくていいのだ。神様を信ずれば盲目が見え、唖が者を云い、躄が駆け出すのだ。天を飛ぶ鳥を見よ。地を走る狐を見よ。明日の事なんか考えなくともチャンと生きて行けるじゃないか」といったアンバイ式に宣伝して世界中をみんな懶《なま》け者にしちまおうと思って発明したのがこの基督教なんだ。  ……そこでその当時ユダヤでも一番の名優であったヨハネという爺さんを雇って来て、この基督教のチンドン屋をやらせてみたがドウモうまいこと行かない。そこでその次に出て来たユダヤでも第一等の美男子のイエスという男優と、ユダヤ第一の美しい女優のマリアというのを取組ませて、この宣伝を街頭でやらせてみたらコイツが大々的に大当たりを取ることになった。     (三十行削除)  ……といったような調子で旧約聖書の文句が済みますと今度は新約でゲス。  ……つまりそのデュッコっていう僧侶が聖書の中で基督に成り代って云うのです。「吾は悪魔の救世主なり。皆吾に従え」ってんで自分が先祖代々から受け伝えて来た悪魔の血すじを、系図みたいに書並べたのがソノ新約の書出しなんで、それから自分が虫も殺さぬ宣教師となって明暮れ神の道を説きながら、内心では悪魔の道を信仰して、女を殺したり、金を捲上げたりして来た恐ろしい悪事の数々を各章に分けてサモサモ勿体らしく書立ててあるのです。人間は神様と良心を蹴飛ばしちまえばドンナ幸福でも得られる。自分の師と仰ぐものはイエス・クリストじゃない、悪魔に魂を売った独逸の魔法使いファウストだってんで、ありとあらゆる科学的な悪事のやり方が、自分の体験と一緒に、それ相当の悪魔式のお説教を添えて書いてあります。     (四十七行削除)  それから一番おしまいの詩篇のところへ来ると、極端な恋歌ばっかりですね。それもマトモな恋の歌なんか一つもないので、邪道の恋、外道の恋みたいなものを讃美した歌ばっかりなんで呆れ返ったワイ本なんですがね……ヘエ……。  ナ……何ですか……その本がどこに在るかって仰言るんですか……ヘヘヘ。それが又面白いんです。  今も申します通り、その聖書は、ちょっと見たところ、古い木版みたいな字の恰好ですからね。蔵《しま》っておいたって仕様がないし、そうかといってウッカリ気心の知れないところに持って行ってお勧めする訳にも行きませんからね。困っちゃって、ボクスか何かの古い皮革《かわ》のケースに入れたまんま向うの棚の片隅に置いといたんです。それを見つけたお客様のお顔色次第で千円ぐらいは吹っかけてもアンマリ罰は当るめえ……と思っていた訳ですが……普通の聖書にしてもソレ位のねうちはあるんですからね。  ところがこの三月ばかり前のことです。驚きましたよ。いつの間にシテヤラレたものですか、その聖書の中味がスッポ抜かれちゃって、箱《ケース》だけがあそこの棚の隅に残っているのを発見しちゃったんです。  あそこは店の中でも一番暗い処で、私《あっし》が珍本と思った本だけをソーッと固めて置いとく処ですからね。あそこに来てジイッと突立っておいでになる方はイツモ大抵きまっているんですからね。持ってお出でになった方もアラカタ見当が……。  オヤッ……先生のお顔色はドウなすったんです。御気分でもお悪いんですか……ヘエ。ヘエッ……これは三百円のお金……今月のお月給の全部……私《あっし》に下さるんで……ヘエッ……あの聖書のお手附け……千円の内金と仰言るんで……これはどうも恐れ入りましたナ。あの本は先生がお持ちになったんで……ヘエ。それはドウモ何ともハヤ……ヘエヘエ……何と仰言る……。  ヘエエ……今年の春から先生の奥様にピアノを教えにお出でになっている音楽学校出の若いピアニストの方が、あの本を偶然に御覧になって、大変に珍しがって借りておいでになった。先生もその時までは普通の聖書と思って何の気もなくお貸しになった。ヘエヘエッ……ド……ドッ……どうぞお落付きになって……お落付きになって……お静かに……お静かに……御ゆっくりお話し下さいまし……ナナ……なる程。ヘエヘエ。  それから一週間ばかり経って、奥様が流産をなすった……妊娠三箇月で……成る程。お医者様の御診察ではその前にお二人で××にドライブをなすったのが悪かった……ナル程。あの国道はこの頃悪くなりましたな。無理は御座んせんよ。自動車が矢鱈に殖えましたからナ。県の土木費はモトの通りなのに……まだある。ヘエ……。  タッタお一人のお坊ちゃんが、牛乳ばっかりで育てておいでになったのが、四、五日前に急にお亡くなりになった。食餌中毒という診断だが、怪しいと仰言るんで……ヘエ。ドウ怪しいんで……ヘエ。あの本を借りて行かれたピアノの教師《せんせい》が、あの本の中の毒薬を使っているに違いない。この頃、貴方様も胃のお工合が宜しくない。胃がシクシクお痛みになる。×××××、×××かも知れない。ヘエ。つまり貴方様はズット前からそのピアノの教師を疑っておいでになったんですね。成る程。そのピアノの教師は芸術家気取のノッペリした青年……奥様は二度目の奥様で、大阪新聞の美人投票で一等賞……アッ……。  ワ――ッ……先生ッ。チョチョチョチョットお待ち下さい。チョットチョット。いいえ放しませぬ。チョットお待ち下さい。血相をお変えになってどこへお出でになるんで……ナ何ですって……。そのピアノ教師《せんせい》をお訴えになる。あの本を取返して使った毒薬を発見してやる……ま……ま……待って下さい。……ト……飛んでもない事です。まあお聴き下さい。落ち付いて……とにかくここへ今一度おかけ下さい。私《あっし》のお話をお聞き下さい。御事情は私《あっし》が見貫いております。事件の真相は私《あっし》がチャンと存じておりますから、残らずお話し致しましょう。急《せ》いてはいけません。短気は損気です……ああビックリした……。  飛んでもない事ですよ先生、ソレは……。もし先生がソンナ事をなされますとあの本をどこから手に入れたという事が、警察でキット問題になりますよ。その時に私《あっし》が警察へ呼ばれまして正直のところを申立てましたら、先生の御身分は一体どうなるんですか。  ハハハ。それ御覧なさい。まあまあモウ一度ここへお掛け下さい。このお茶の熱いところを一服めし上って下さい。私《あっし》が何もかもネタを割ってお話し致します。モトを申しますと何もかも私《あっし》が悪いのです。  ソ……ソンナにビックリなさることは御座いません。コレ……この通りお詫びを申上げます。何もかも私《あっし》が悪いので御座います。ヘエヘエ。この通りアヤマリます。どうぞ御勘弁を……。  何をお隠し申しましょう……只今まで私《あっし》がお話致しました事は、みんなヨタなんです。出鱈目なんです。根も葉もない作り話なんでゲス。ハハハ。吃驚《びっくり》なさいましたか。ハハハ……。  あの御本はヤッパリ普通の聖書なんです。もちろん一六八〇年度の英国の筆写本なんでゲスから相当の珍本には間違い御座んせん。三百両ぐらいの価値《ねうち》は確かで御座いますがトテモ千両なんて踏めるシロモノじゃ御座んせん。御自身で読んで御覧になれあ、おわかりになります。初めからおしまいまで普通の聖書の通りの文句で、一字一字毎に狂いのないところを見ますと、よっぽど信仰の深い僧侶《ぼう》さんが三拝九拝しながら写したもんですね。とにかく滅多に出て来っこない珍本ですからドウゾお大切にお仕舞いおき願いますよ。こうしてお代金を頂戴いたしましたからには、惜しゅうは御座いますが、お譲り致します。  実は先生が、大学でも有名な御本集めの名人でおいでになる事を、法文科の中江先生からズット以前に伺っておりました。今度、○○科へ本集めの名人が来たぜ。あの男は東京に居る時分から俺の好敵手で、どうして集めるんだか判らないが、俺の狙っている本を片端から浚《さら》って行ってしまいやがる。あの男が来ると俺の道楽は上ったりだ……ってね。よくソウ仰言っておられましたよ。  ……ですから実はソノ……ヘヘヘ。先生があの本をお持ちになった時も私《あっし》はよく存じておりましたからね。その中《うち》に奥様にでもお代を頂戴に行こうかと思っておりますところへ、今日ヒョックリ先生がお見えになる……トタンに今の夕立で御座いましょう。店には格別お珍しいものも御座んせんし、先生も雨上がりをお待ちになっておいでになる御様子ですし、私《あっし》も朝から店に座っていてすこし頭がボンヤリして来たようですから、ツイ退屈凌ぎに根も葉もないヨタ話を一席伺いました訳で……若い中《うち》にナマジッカな学問をしたり寄席へ出たり致しました者は、ツイ余計なお喋舌りが出て参りますようで……ヤクザな学問ほど溢れ出したがるようでヘヘヘ。……ヘエヘエやっぱりコウして書物の中に埋まっておりましても探偵小説が一番面白いようで……まったくで御座います。どうかするとツイ探偵小説を地で行ってみたいような気にフラフラッとなりますから妙なもんで……ヘエ。思いもかけませぬお代を頂戴致しまして恐れ入りました。全く根も葉もない作り事を申上げまして、御心配をおかけ申しました段は、幾重にも御勘弁を……。  ヘエ。モウ降り止んだようで御座います。だいぶ明るくなって参りました。明日はお天気になりましょう。  ヘイ。御退屈様。毎度ありがとう存じます。ドウゾ奥様をお大事に……。 (『サンデー毎日特別号』昭和十一年三月) ---------------------------------------------------------------- あやかしの鼓  私は嬉しい。「あやかしの鼓」の由来を書いていい時機が来たから……  「あやかし」という名前はこの鼓の胴が世の常の桜や躑躅《つつじ》と違って「綾になった木目を持つ赤樫《あかがし》」で出来ているところからもじったものらしい。同時にこの名称は能楽でいう「妖怪《あやかし》」という意味にも通《かよ》っている。  この鼓はまったく鼓の中の妖怪である。皮も胴もかなり新らしいもののように見えて実は百年ばかり前に出来たものらしいが、これをしかけて打ってみると、ほかの鼓の、あのポンポンという明るい音とはまるで違った、陰気な、余韻の無い……ポ……ポ……ポ……という音を立てる。  この音は今日迄の間に私が知っているだけで六七人の生命を呪《のろ》った。しかもその中の四人は大正の時代にいた人間であった。皆この鼓の音を聞いたために死を早めたのである。  これは今の世の中では信ぜられぬことであろう。それ等の呪われた人々の中で、最近に問題になった三人の変死の模様を取り調べた人々が、その犯人を私――音丸久弥と認めたのは無理もないことである。私はその最後の一人として生き残っているのだから……。  私はお願いする。私が死んだ後にどなたでもよろしいからこの遺書を世間に発表していただきたい。当時の学問をした人は或《あるい》は笑われるかも知れぬが、しかし……。  楽器というものの音が、どんなに深く人の心を捉えるものであるかということを、本当に理解しておられる人は私の言葉を信じて下さるであろう。  そう思うと私は胸が一パイになる。  今から百年ばかり前のこと京都に音丸\久能《くのう》という人がいた。  この人はもとさる尊とい身分の人の妾腹《しょうふく》の子だという事であるが、生れ付き鼓をいじることが好きで若いうちから皮屋へ行っていろいろな皮をあつらえ、また材木屋から様々の木を漁《あさ》って来て鼓を作るのを楽しみにしていた。そのために親からは疎《うと》んぜられ、世間からは蔑《さげ》すまれたが、本人はすこしも意としなかった。その後さる町家から妻を迎えてからは、とうとうこれを本職のようにして上《うえ》つ方《がた》に出入りをはじめ、自ら鼓の音に因《ちな》んだ音丸という苗字《みょうじ》を名宣《なの》るようになった。  久能の出入り先で今大路《いまおおじ》という堂上方《どうじょうがた》の家に綾姫という小鼓に堪能《たんのう》な美人がいた。この姫君はよほどいたずらな性質《たち》で色々な男に関係したらしく、その時既に隠し子まであったというが、久能は妻子ある身でありながら、いつとなくこの姫君に思いを焦がすようになった揚句《あげく》、ある時鼓の事に因《よ》せて人知れず云い寄った。  綾姫は久能にも色よい返事をしたのであった。しかしそれとてもほんの一時のなぐさみであったらしく、間もなく同じ堂上方で、これも小鼓の上手《じょうず》ときこえた鶴原卿というのへ嫁《かた》づくこととなった。  これを聞いた久能は何とも云わなかった。そうしてお輿入《こしい》れの時にお道具の中に数えて下さいといって自作の鼓を一個さし上げた。  これが後の「あやかしの鼓」であった。  鶴原家に不吉なことが起ったのもそれからのことであった。  綾姫は鶴原家に嫁づいて後その鼓を取り出して打って見ると、尋常と違った音色が出たので皆驚いた。それは恐ろしく陰気な、けれども静かな美しい音であった。  綾姫はその後何と思ったか、一室《ひとま》に閉じこもってこの鼓を夜となく昼となく打っていた。そうして或る朝何の故ともなく自害をして世を早めた。するとそれを苦に病んだものかどうかわからぬが、鶴原卿もその後病気勝ちになって、或る年関東へお使者に行った帰り途《みち》に浜松とかまで来ると血を吐いて落命した。今でいう結核か何かであったろう。その跡目は卿の弟が継いだそうである。  しかしその鼓を作った久能も無事では済まなかった。久能はあとでこの鼓をさし上げたことを心から苦にして、或る時鶴原卿の邸内へ忍び入ってこの鼓を取り返そうとすると、生憎《あいにく》その頃召し抱えられた左近という若侍に見付けられて肩先を斬られた。そのまま久能は鼓を取り得ずに逃げ帰って間もなく息を引き取ったが、その末期《いまわ》にこんなことを云った。  「私は私があの方に見すてられて空虚《うつろ》となった心持ちをあの鼓の音《ね》にあらわしたのだ。だから生き生きとした音を出させようとして作った普通《なみ》の鼓とは音色が違う筈である。私はこれを私の思うた人に打たせて『生きながら死んでいる私』の心持ちを思い遣ってもらおうと思ったのだ。ちっとも怨《うら》んだ心持ちはなかった。その証拠にはあの鼓の胴を見よ。あれは宝の木といわれた綾模様の木目を持つ赤樫の古材で、日本じゅうに私の鑿《のみ》しか受け付けない木だ。その上に外側の蒔絵《まきえ》まで宝づくしにしておいた。あれはお公卿《くげ》様というものが貧乏なものだから、せめてあの方の嫁《ゆ》かれた家《うち》だけでも、お勝手許の御都合がよいようにと祈る心からであった。それがあんなことになろうとは夢にも思い設けなんだ。誰でもよい。私が死に際のお願いにあの鼓を取り返して下さらんか。そうして又と役に立たんように打ち潰して下さらんか。どうぞどうぞ頼みます」  これが久能の遺言となったが、誰も鶴原家に鼓を取り返しに行く者なぞなかった。それどころでなく変死であったので、ごく秘密で久能の死骸を葬った。  しかしこの遺言はいつとなく噂《うわさ》となって世間に広まり、果は鶴原家の耳にも入るようになった。鶴原家ではそれからその鼓をソックリ箱に蔵《おさ》めて、土蔵の奥に秘めて虫干しの時にも出さないようにした。それと一緒に誰云うとなく「あやかしの鼓」という名が附いて、その箱の蓋《ふた》を開いただけでも怪しいことがある……その代りこの鼓を持ち伝えてさえおれば家の中に金が湧くと言い伝えられた。そのおかげかどうかわからぬが、その後の鶴原家には別に変ったこともなく却ってだんだんと勝手向きもよくなって維新後は子爵を授けられたが、大正の初めになると京都を引き上げて東京の東中野に宏大な邸《やしき》を構えた。  これと反対に綾姫の里方の今大路家はあまり仕合せがよくなかった。綾姫が鶴原家に嫁《かた》づいたたあとで、血統《ちすじ》が絶えそうになったが綾姫の隠し子があったのを探し出して表向きを都合よくして、やっと跡目を立てたような始末であった。しかしその後しだいに零落《れいらく》してしまって維新後はどうなったか、わからなくなっているという。  こうして「あやかしの鼓」に関係のある二軒の家が一軒は栄え一軒は落ちぶれている一方に、音丸久能の子の久伯《きゅうはく》と、その子の久意《きゅうい》は久能のあとを継いで鼓いじりを商売にしてどうにか暮らしているにはいた。けれども二人とも久能の遺言を本気に受けて鶴原家からアヤカシの鼓を引き取ろうというようなことはしなかった。  この久能の孫の久意が私の父であった。  私の父は京都にいる時分から鼓の修繕《ていれ》や仲買い見たようなことをやっていた。けれども手職《てしょく》が出来たらしい割りにお客の取り付きがわるく、最初に生れた男の子の久禄というのは生涯音信不通で、六ツの年に他家《よそ》へ遣るという有り様であった。これを東京の九段におられる能小鼓の名人で高林弥九郎という人が見かねて東京に呼び寄せ、牛込《うしごめ》の筑土八幡《つくどはちまん》の近くに小さな家《うち》を借りて住まわせて下すったので父はやっと息を吐《つ》いたという事である。  しかし明治三十六年になって母が私を生み残して死ぬと、どうしたものか父は仕事を怠け始めて貸本ばかり読むようになった。それから大正三年の夏に脊髄病に罹《かか》って大正五年の秋まで足かけ三年の間私に介抱されたあげく肺炎で死んだ。その時が五十五であった。  その死ぬすこし前のことであった。  私がお復習《さらい》を済ましてから九段の老先生から借りて来た『近世説美少年録』という本を読んできかせようとすると父は、 「ちょっと待て、今日はおれが面白い話をしてきかせる」  と云いながらポツポツと話し出した。それが「アヤカシの鼓」の由来で私にとっては全く初耳の話であった。  ……ところで……  と父は白湯《さゆ》を一パイ飲んで話し続けた。 「……実はおれもこの話をあまり本気にしなかった。名高い職人にはよくそんな因縁ばなしがくっついているものだから……東京に来ても鶴原家がどこにあるやら気も付かず、また考えもしなかった。  すると今から三年ばかり前の春のこと、朝早くおれが表を掃いていると二十歳《はたち》ばかりの若い美しいはいからさん[#「はいからさん」に傍点]が来て、この鼓の調子を出してくれと云いながら綺麗な皮と胴を出した。おれは何気なく受け取って見ると驚いた。胴の模様は宝づくしで材木は美事な赤樫だ。話にきいた「あやかしの鼓」に違いないのだ。そのはいからさん[#「はいからさん」に傍点]はその時こんなことを云った。 『私は中野の鶴原家のもので九段の高林先生の処でお稽古を願っているものだが、この鼓がうちにあったから出して打って見たんだけど、どうしても音《ね》が出ない。何でもよっぽどいい鼓だと云い伝えられているのだから、音が出ない筈はないと思うのだけど』  と云うんだ。おれは試しに、 『ヘエ。その云い伝えとはどんなことで……』  と引っかけて見たが奥さんはまだ鶴原家に来て間もないせいか、詳しいことは知らないらしかった。只、 『赤ん坊のような名前だったと思います』  と云ったのでおれはいよいよそれに違いないと思った。おれはその鼓を一先ず預ることにして別嬪《べっぴん》さんをかえした。そのあとですぐに仕かけて打って見ると……おれは顫《ふる》え上った。これは只の鼓じゃない。祖父《じい》さんの久能の遺言は本当であった。鶴原家に祟《たた》るというのも嘘じゃないと思った。  とはいうものの鶴原家がこの鼓を売るわけはないし、どんなに考えてもこちらのものにする工夫が附かなかったので、おれはそのあくる日中野の鶴原家に鼓を持って行って奥さんに会ってこんな嘘を吐《つ》いた。 『この鼓はどうもお役に立ちそうに思えませぬ。第一長い事打たずにお仕舞《しま》いおきになっておりましたので皮が駄目になっております。胴もお見かけはまことに結構に出来ておりますが、材が樫で御座いますからちょっと音《ね》が出かねます。多分これは昔の御縁組みの時のお飾り道具にお用い遊ばしたものと存じますが……その証拠には手擦があまり御座いませんので……お模様も宝づくしで御座いますから……』  これは家業の一番\六《むず》かしいところで、こっちの名を捨ててお向う様のおためを思わねばならぬ時のほか、滅多に吐いてはならぬ嘘なのだ。ところが若い奥さんはサモ満足そうにうなずいたよ。 『妾《わたし》もおおかた、そんな事だろうと思ったヨ。妾の手がわるいのかと思っていたけど、それを聞いて安心しました。じゃ大切《だいじ》にして仕舞っておきましょう』  って云って笑ってね。十円札を一枚、無理に包んでくれたよ。それから間もなく俺は脊髄にかかって仕事ができなくなったし、その奥さんも別に仕事を持って来なかった。  けれども俺は何となく気になるから、その後九段へ伺うたんびに内弟子の連中から鶴原家の様子を聞き集めて見ると……どうだ……。  鶴原の子爵様というのは元来、お家柄自慢の気の小さい人で、なかなかお嫁さんが定《き》まらないために三十まで独身《ひとりみ》でいた位だったそうだが、その前の年の暮にチョットした用事で大阪へ行くと、世間でいう魔がさしたとでもいうのだろう。どこで見初《みそ》めたものか今の奥さんに思い付かれて夢中になったらしく、とうとう子爵家へ引っぱり込んでしまった。するとその奥さんの素性がわからないというので、親類一統から義絶された揚げ句、京都におれなくなって、東京の中野に移転して来たものだった。  ところでそれはまあいいとしてその奥さんは、名前をたしかツル子さんといったっけが……東京へ越して来て鼓のお稽古を初めると間もなく、子爵様の留守の間《ま》に、お附きの女中が青くなって止めるのもきかないで『あやかしの鼓』を出して打って見たものだ。それをあとから子爵様が聞いてヒドク叱ったそうだが、それを気に病んだものか子爵様は間もなく疳《かん》が昴《たか》ぶり出して座敷\牢《ろう》みたようなものの中へ入れられてしまった。それからツル子夫人は中野の邸を売り払って麻布《あざぶ》の笄町《こうがいちょう》に病室を兼ねた小さな家を建てて住んだものだが、そうして病人の介抱をしいしい若先生のところへお稽古に来ているうちに子爵様はとうとう糸のように痩《や》せ細って、今年の春亡くなってしまった。  そうすると鶴原の未亡人《ごけさん》は、そのあとへ、自分の甥《おい》とかに当る若い男を連れて来て跡目にしようとしたが、鶴原の親類はみんなこの仕打ちを憤《おこ》ってしまって、お上に願って華族の名前を除くといって騒いでいる。おまけに若未亡《わかごけ》のツル子さんについても、よくない噂ばかり……ドッチにしても鶴原家のあとは断絶《たえ》たと同様になってしまった。  おれは誰にも云わないが、これはあの『あやかしの鼓』のせい[#「せい」に傍点]だと思う。そうして、それにつけておれはこの頃から決心をした。お前は俺の子だけあって鼓のいじり方がもうとっくにわかっている。今にきっと打てるようになると思う。  けれども俺はお前に云っておく。お前はこれから後、忘れても鼓をいじってはいけないぞ。これは俺の御幣担《ごへいかつ》ぎじゃない。鼓をいじると自然いい道具が欲しくなる。そうしておしまいにはキットあの鼓に心を惹かされるようになるから云うんだ。あのアヤカシの鼓は鼓作りの奥儀をあらわしたものだからナ……。  そうなったらお前は運の尽きだ。あの鼓の音をきいて妙な気もちにならないものはないのだから。狂人《きちがい》になるか変人になるかどっちかだ。  お前は勉強をしてほかの商売人か役人かになって東京からずっと離れた処へ行け。鶴原家へ近寄らないようにしろ。  おれはこのごろこの事ばかり気にしていた。いずれ老先生にもよくお願いしておくつもりだが、お前がその気にならなければ何にもならない。  いいか……忘れるな……」  私はお伽噺《とぎばなし》でも聞くような気になってこの話を聞いていた。しかし別段鼓打ちになろうなぞとは思わなかったから、温柔《おとな》しくうなずいてばかりいた。  父は安心したらしかった。  その年の秋に父が死んで九段の老先生の処へ引き取られると、間もなく私は丸々と肥って元気よく富士見町小学校へ通い続けた。「あやかしの鼓」の話なぞは思い出しもしなかった。  老先生は小柄な、日に焼けた、眼の光りの黒いお爺さんであった。年はその時が六十一で還暦のお祝いがその春にある筈であったのが、思いがけなく養子の若先生が家出をされたのでその騒ぎのためにおやめになった。  若先生は名を靖二郎といった。私は会ったことがないが老先生と反対にデップリと肥った気の優しい人で、鼓の音《ね》ジメのよかった事、東京や京阪で催しのある毎《ごと》に一流の芸者がわざわざ聞きに来た位であったという。家出された時が二十歳であったが着のみ着のままで遺書《かきおき》なぞもなく、また前後に心当りになるような気配もなかったので探す方では途方に暮れた。一方に気の早い内弟子はもう後釜《あとがま》をねらって暗闘を初めているらしい事なぞをおしゃべりの女中からきいた。 「あなたが大方あと継ぎにおなりになるんでショ」なぞとその女中は云った。  しかし老先生は私に鼓打ちになれなぞとは一口も云われなかった。只無暗に可愛がって下さるばかりであった。  けれども家が家だけに鼓の音《ね》は朝から晩まで引っ切りなしにきこえた。そのポンポンポンポンという音をウンザリする程きかされているうちに私の耳は子供ながら肥えて来た。初めいい音だと思ったのがだんだんつまらなく思われるようになった。内弟子の中で一番上手だという者の鼓の音〆《ねじめ》はほかの誰のよりもまん丸くて、キレイで、品がよかったがそれでも私は只美しいとしか感じなかった。もうすこし気高い……神様のように静かな……または幽霊の声のように気味のわるい鼓の音はないものか知らん……などと空想した。  私は老先生の鼓が聞きたくてたまらなくなった。  しかし老先生が打たれる時は舞台か出稽古の時ばかりで、うちでは滅多に鼓を持たれなかった。一方に私も学校へ通っていたので、高林家へ来て暫くの間は一度も老先生の鼓をきくことが出来なかった。只一度正月のお稽古初めの時に吉例の何とかいうものを打たれたそうであるが、その時は生憎お客様のお使いをしていたために聞き損ねた。  こうして一夜明けた十六の年の春、高等二年の卒業免状を持って九段に帰ると、私はすぐ裏二階の老先生の処へ持って行ってお眼にかけた。すると向うむきになって朱筆で何か書いておられた老先生はふり返ってニッコリしながら、 「ウム。よしよし」  とおっしゃって茶托に干菓子を山盛りにして下さった。それをポツポツ喰べている私の顔を老先生はニコニコして見ておられたが、やがて床の間の横の袋戸から古ぼけた鼓を一挺出して打ち初められた。  そのゝゝゝ《チチチ》○○○《ポポポ》という音をきいた時、私はその気高さに打たれて髪の毛がゾーッとした。何だか優しいお母さんに静かに云い聞かされているような気もちになって胸が一パイになった。 「どうだ鼓を習わないか」  と老先生は真白な義歯《いれば》を見せて笑われた。 「ハイ、教えて下さい」  と私はすぐに答えた。そうしてその日から安っぽい稽古鼓で『三ツ地』や『続け』の手を習った。  けれども私の鼓の評判はよくなかった。第一調子が出ないし、間や呼吸なぞもなっていないといって内弟子からいつも叱られた。 「大飯を喰うから頭が半間《はんま》になるんだ。おさんどん見たいに頬《ほっ》ペタばかり赤くしやがって……」  なぞと寄ってたかって笑い物にした。けれども私はちっとも苦にならなかった。――鼓打ちなんぞにならなくてもいい。老先生が死なれるまで介抱をして御恩報じをしたら、あとは坊主になって日本中を旅行してやろう――なぞと思っていたから、なおのこと大飯を喰って元気を養った。  その年が過ぎて翌年の春のおしまいがけになると、若先生はいよいよ亡くなられたことにきまったので、極《ご》く内輪でお菓子とお茶ばかりの御法事が老先生のお室《へや》であった。その席上で老先生の親類らしい胡麻塩《ごましお》のおやじ[#「おやじ」に傍点]が、 「早く御養子でもなすっては……」  と云ったら並んでいる内弟子の三四人が一時に私の方を見た。老先生は苦笑いをされた。 「サア、靖(若先生)のあとは、ちょっとありませんね。ドングリばかりで……」  とみんなの顔を一渡り見られた。内弟子はみんな真赤になった。  私はこの時急に若先生に会って見たくなった。――きっとどこかに生きておられるに違いない。そうして鼓を打っておられるような気がする。その音《ね》がききたいな――と夢のようなことを考えながら、老先生のうしろにある仏壇のお燈明の間に白く光っている若先生のお位牌を見ていると、不意に、 「その久弥さんはどうです」  と胡麻塩おやじ[#「おやじ」に傍点]が又出しゃばって云ったので私は胸がドキンとした。 「イヤ。これはいわば『鼓の唖』でね……調子がちっとも出ないたちです。生涯鳴らないかも知れません。こんなのは昔から滅多にいないものですがね」と云いながら私の頭を撫でられた。私もとうとう真赤になった。 「その児はものになりましょうか」  と内弟子の中の兄さん株が云った。吹き出したものもあった。 「物になった時は名人だよ」  と老先生は落ち付いて云われた。みんなポカンとした顔になった。  みんなが裏二階を降りると老先生は私に取っときの洋羮《ようかん》を出して下さった。そうして長い煙管《きせる》で刻煙草《きざみ》を吸いながらこんなことを云われた。 「お前はなぜ鼓の調子を出さないのだえ。いい音《ね》が出せるのに調子紙を貼ったり剥《は》がしたりして音色を消しているが、どうしてお前はあんなことをするのだえ」  私はおめず臆せず答えた。 「僕の好きな鼓がないんです。どの鼓もみんな鳴り過ぎるんです」 「フーン」  と老先生はすこし御機嫌がわるいらしく、白い煙を一服黒い天井の方へ吹き出された。 「じゃどんな音色が好きなんだ」 「どの鼓でもポンポンポンって『ン』の字をいうから嫌なんです。ポンポンの『ン』の字をいわない……ポ……ポ……ポ……という響のない……静かな音を出す鼓が欲しいんです」 「……フーム……おれの鼓はどうだえ」 「好きです僕は……。けれどもポオ……ポオ……ポオ……といいます。その『オ』の字も出ない方がいいと思うんです」  老先生は又天井を向いてプーッと煙を吹きながら、目をショボショボと閉じたり明けたりされた。 「先生」と私はいくらか調子に乗って云った。 「鶴原様のところに名高い鼓があるそうですが、あれを借りてはいけないでしょうか」 「飛んでもない」  と老先生は私の顔を見られた。私はこの時ほど厳重な老先生の顔を見たことがなかった。私はうなだれて黙り込んだ。 「あの鼓を出すとあの家《うち》に不吉なことがあるというじゃないか。たとい嘘にしろ他人の家に災難があるようなことを望むものじゃないぞ。いいか。気に入った鼓がなければ生涯舞台に出ないまでのことだ」  私は生れて初めて老先生にこんなに叱られて真青になった。けれども心から恐れ入ってはいなかった。 「あやかしの鼓」が私のあこがれの的となったのはこの時からであった。  それから間もなく老先生は私を高林家の後嗣《あとつぎ》にきめられて披露をされた。内弟子たちはみんな不承不承に私を若先生と云った。  しかし私は落胆《がっかり》した。――とうとう本物の鼓打ちになるのか。一生涯下手糞《へたくそ》の御機嫌を取って暮らさなければならないのか。――と思うとソレだけでもウンザリした。――老先生の御恩に背いてはならぬぞ――と、いつも云って聞かせた父の言葉が恨めしかった。同時に若先生が家出をされた原因もわかったような気がして、若先生に対するなつかしさがたまらなく弥増《いやま》した。しかし若先生に会いたいという望みは「あやかしの鼓」を見たいという望みよりももっと果敢《はか》ない空想であった。  私は相も変らず肥え太りながらポコリポコリという鼓を打った。  こうして大正十一年――私が二十一歳の春が来た。その三月のなかばの或る日の午後、老先生は私を呼び付けて、 「これを鶴原家へ持ってゆけ」と四角い縮緬《ちりめん》の風呂敷包みを渡された。  鶴原家ときくとすぐに例の鼓のことを思い出したので、私は思わず胸を躍らせて老先生の顔を見た。老先生もマジマジと私の顔を見ておられたが、 「誰にも知れないようにするんだよ。家《うち》は笄町の神道本局の筋向うだ。樅《もみ》の木に囲まれた表札も何もない家だ」と眼をしばたたかれた。  私は鳥打に紺飛白《こんがすり》、小倉袴《こくらばかま》、コール天の足袋《たび》、黒の釣鐘マントに朴歯《ほおば》の足駄といういでたちでお菓子らしい包みを平らに抱えながら高林家のカブキ門を出た。  麻布笄町の神道本局の桜が曇った空の下にチラリと白くなっていた。その向うに樅の木立ちにかこまれた陰気な平屋建てがある。セメントの高土塀にも檜作《ひのきづく》りの玄関にも表札らしいものが見えず、軒燈の丸い磨硝子《すりガラス》にも何とも書いてない。この家だと思いながら私は前の溝川に架かった一間ばかりの木橋を渡った。  玄関の格子戸をあけると間もなく障子がスーッと開いて、私より一つか二つ上位に見える痩せこけた紺飛白の書生さんが顔を出して三つ指をついた。髪毛をテカテカと二つに分けて大きな黒眼鏡をかけている。 「鶴原様はこちらで……私は九段の高林のうちのものですが……老先生からこれを……」  と菓子箱を風呂敷ごとさし出した。  書生さんは受け取って私の顔をチラリと見たが、私の眼の前で風呂敷を解くと中身は杉折りを奉書に包んだもので黒の水引がかかっていて、その上に四角張った字で『妙音院高誉\靖安居士《せいあんこじ》……七回忌』と書いた一寸幅位の紙片が置いてあった。  私はオヤと思った。ちょっとも気が付かずに持って来たが、これは若先生の七回忌のお茶だ。若先生の御法事はごく内輪で済まされていて、素人弟子には全く知らせないことになっていたのに老先生は何でこんなことをなさるのであろう。鶴原未亡人が差し出てお香典でも呉れたのか知らんと思いながら見ていると、書生さんもその戒名を手に取って青白い顔をしながら何べんも読み返している。何だか様子が変なあんばいだ。  そのうちに書生さんはニッと妙な笑い方をしながら私の顔を見て、 「どうも御苦労様です……ちょっとお上りになりませんか、……今私一人ですが……」  と云った。その声は非常に静かで女のような魅力があった。私はどうしようかと思った。上ってはいけないような気がする一方に、何だか上りたくてたまらぬような気がして立ったまま迷っていると書生さんは箱を抱えて立ち上りがけに躊躇しいしい又云った。 「……いいでしょう……それに……すこしお頼みしたいことも……ありますから」  私は思い切って下駄を脱いだ。書生さんは私を玄関の横の、もと応接間だったらしい押し入れのない室《へや》へ連れ込んだ。見ると八畳の間一パイに新聞や小説や雑誌の類が柳行李《やなぎこうり》や何かと一緒に散らばっていて、真中の鉄瓶《てつびん》のかかった瀬戸物の大火鉢のまわりすこしばかりしか坐るところがない。書生さんはそこいらに散らばっている茶器を押し除《の》けて、奥から座布団を持って来て私にあてがうと、 「私は妻木《つまき》というものです。鶴原の甥です」  と挨拶《あいさつ》をした。  さてはこの人がそうかと思いながら私は改めて頭を下げていると、妻木君はその物ごしのやさしいのにも似ず、私が見ている前で杉折りをグッと引き寄せるとポツンと水引を引き切った。オヤと思ううちに蓋をあけて中にある風月のモナカを一つ抓《つま》んで自分の口に入れてから私のほうにズイと押し進めた。 「いかがです」  私は少々度胆を抜かれた。しかしそのうちに妻木君の唇の両端が豆腐のように白く爛《ただ》れているのに気が付くと、やっとわかった。妻木君は甘い物中毒で始終こんなことをやっているのだ。そのために胃をメチャメチャに壊しているのだ。そうして、かかり合いにするつもりで私を呼び上げたものらしい。用事とはこの事かと思うと私は急にこの青年と心安くなったような気がしてすすめられるままに手を出した。  ところが妻木君の喰い方の荒っぽいのには又流石の私も舌を捲かれた。初めに四つ五つ私を追い越して食っているばかりでなく、私が三つ食ううちに四つか五つの割りで頬張って飲み込むので、見る見るうちに箱の半分以上が空っぽになってしまった。  私はとうとう兜《かぶと》を抜いで茶を一パイ飲んだ。すると妻木君はあと二つばかり口に入れてから、うしろの書物の間から古新聞を出して、その中に残ったモナカの二十ばかりをザラザラとあけてグルグルと包んで書物のうしろに深く隠した。それから杉折りを取り上げるとペキンペキンと押し割って薪のように一束にして、戒名と一緒に奉書の紙に包んだ上から黒水引きでグルグル巻きに縛った。 「どうもすみませんが……」と妻木君はそれを私の前に差し出した。 「これをお帰りの時にどこかへ棄ててくれませんか」  それを私が微笑しながら受け取ると、妻木君の顔が小児《こども》のように輝やいた。そうして前よりも一層丁寧に云った。 「それからですね。ほんとに済みませんけどもこの事はお宅の先生へも秘密にしてくれませんか」  私は思わず吹き出すところであった。 「ええええ大丈夫です。僕からもお願いしたい位です」 「有り難う御座います。御恩は死んでも忘れません」  と云いつつ妻木君は不意に両手をついて頭を畳にすりつけた。  その様子があまり馬鹿丁寧で大袈裟なので私は又変な気もちになった。鶴原子爵は狂気で死んだというがこの青年も何だか様子が変である。ことによるとやっぱり「あやかしの鼓」に呪われているのじゃないかと思った。  しかしそう思うと同時に又「あやかしの鼓」が見たくてたまらなくなって来た。しかもそれを見るのには今が一番いい機会じゃないかというような気がしはじめた。 「この人に頼んだらことに依ると『あやかしの鼓』を見せてくれるかも知れない。今がちょうどいいキッカケだ。そうして今よりほかにその時機がないのだ。この家《うち》に又来ることがあるかないかはわからないのだから」  と考えたが一方に何だか恐ろしく気が咎《とが》めるようでもあるので、心の中で躊躇しいしい妻木君の顔を見ていると、妻木君も黒い眼鏡越しに私の顔をジッと見ている。そうして何の意味もないらしい微笑をフッと唇のふちに浮かべた。私はその笑顔に釣り込まれたようにポツンと口を利いた。 「『あやかしの鼓』というのがこちらにおありになるそうですが……」  妻木君の笑顔がフッと消えた。私は勇を鼓して又云った。 「すみませんが内密で僕にその鼓を見せて頂けないでしょうか」 「……………」  妻木君は返事をしないで又も私の顔をシゲシゲと見ていたが、やがて今までよりも一層静かな声で云った。 「およしなさい。つまらないですよあの鼓は……変な云い伝えがあるのでね、鼓の好きな人の中には見たがっている人もあるようですがね……」 「ヘエ」と私は半ば失望しながら云った。こんな書生っぽに何がわかるものかと思いながら……すると妻木君は私をなだめるように、いくらか勿体ぶって云った。 「あんな伝説なんかみんな迷信ですよ。あの鼓の初めの持ち主の名が綾姫といったもんですから謡曲の『綾の鼓』だの能仮面の『あやかしの面』なぞと一緒にして捏《でっ》ち上げた碌《ろく》でもない伝説なんです。根も葉もないことです」 「そうじゃないように聞いているんですが」 「そうなんです。あの鼓は昔身分のある者のお嫁入りの時に使ったお飾りの道具でね。音が出ないものですから皆怪しんでいろんなことを……」  私はここまで聞くと落ち付いて微笑しながら妻木君の言葉を押し止めた。 「ちょっと……そのお話は知っています。それはこちらの奥さんが或る鼓の職人から欺《だま》されていらっしゃるのです。その職人はこの家のおためを思ってそう云ったのです。本当はとてもいい鼓……」  と云いも終らぬうちに妻木君の表情が突然物凄いほどかわったのに驚いた。眉が波打ってピリピリと逆立った。口が力なくダラリと開くとまだモナカの潰し餡のくっ付いている荒れた舌がダラリと見えた。  私は水を浴びたようにゾッとした。これはいけない。この青年はやっぱり気が変なのだ。それも多分あやかしの鼓に関係した事かららしい。飛んでもないことを云い出した……と思いながらその顔を見詰めていた。  けれどもそれはほんの一寸の間のことであった。妻木君の表情は見る見るもとの通りに冷たく白く落付くと同時に、ふるえた長い溜め息がその鼻から洩れた。それから眼と唇を閉じて腕を拱《く》んでジッと何か考えていたが、やがて眼を開くと同時にハッキリした口調で云った。 「承知しました。お眼にかけましょう」 「エッ見せて下さいますか」と私は思わず釣り込まれて居住居《いずまい》を直した。 「けれども今日は駄目ですよ」 「いつでも結構です」 「その前にお尋ねしたいことがあります」 「ハイ……何でも」 「あなたはもしや音丸という御苗字ではありませんか」  私はこの時どんな表情《かおつき》をしたか知らない。唯妻木君の顔を穴のあく程見詰めてやっとのことうなずいた。そうして切れ切れに尋ねた。 「……どうして……それを……」  妻木君は深くうなずいた。悄然《しょうぜん》としていった。 「しかたがありません。私は本当のことを云います。あなたのお家の若先生から聞きました。私は若先生にお稽古を願ったものですが……」  私はグッと唾を飲み込んだ。妻木君の言葉の続きを待ちかねた。 「……若先生は伯母《おば》からあの鼓のことを聞かれたのです。あの鼓はほんのお飾りでホントの調子は出ないものだと或る職人が云ったが、本当でしょうかってね。そうすると若先生は……サア……それを打って見なければわからぬが、とにかく見ましょうということになってね……七年前のしかもきょうなんです……この家《うち》へ来られてその鼓を打たれたんです。それからこの家を出られたのですがそのまんま九段へも帰られないのだそうです」 「若先生は生きておられるのですか」  と私は畳みかけて問うた。妻木君は黙ってうなずいた。それから静かに云った。 「……この鼓に呪われて……生きた死骸とおんなじになって……しかしそれを深く恥じながら……自分を知っているものに会わないようどこにか……姿をかくしておられます」 「あなたはどうしてそれがおわかりになりますか」 「……私は若先生にお眼にかかりました……私にこの事だけ云って行かれたのです。そうして……私の跡継ぎにはやはり音丸という子供が来ると……」  私は思わずカッと耳まで赤くなった。若先生にまで見込まれていたのかと思うと空恐ろしくなったので……。  それと一緒に眼の前に居る妻木という書生さんがまるで違ったえらい人に思われて来た。若先生がそんなことまで打ち明けられる人ならば、よほど芸の出来た人に違いないからである。私はすぐにも頭を下げたい位に思いながら恭《うやうや》しく聞いた。 「それからあなたは……どうなさいましたか」  妻木君も私と一緒に心持ち赤くなっていたようであったが、それでも前より勢い込んで話し出した。 「私はこの事をきくと腹が立ちました。高の知れた鼓一梃が人の一生を葬るような音を立てるなんて怪《け》しからぬ。鼓というものはその人の気持ちによって、いろんな音色を出すもので、鼓の音が人の心を自由にするもんじゃない。どうかしてその鼓を打って見たい。そうしてそのような人を呪うような音色でなく当り前の愉快な調子を打ち出して、若先生の讐《かたき》を取りたいものだと思っている矢先へ伯母が私を呼び寄せたのです。私は得たり賢しで勉強をやめて此家《ここ》に来ました」 「……で……その鼓をお打ちになりましたか」  と私は胸を躍らしてきいた。しかし妻木君は妙な冷やかな顔をしてニヤニヤ笑った切り返事をしない。私は自烈度《じれった》くなって又問うた。 「その鼓はどんな恰好《かっこう》でしたか」  妻木君はやはり妙な顔をしていたが、やがて力なく投げ出すように云った。 「僕はまだその鼓を見ないのです」 「エッ……まだ」と私は呆気《あっけ》にとられて云った。 「エエ。伯母が僕に隠してどうしても見せないんです。」 「それは何故ですか」と私は失望と憤慨とを一緒にして問うた。妻木君は気の毒そうに説明をした。 「伯母は若先生が打たれた『あやかしの鼓』の音をきいてから、自分でもその音が出したくなったのです。そうして音が出るようになったら、それを持ち出して高林家の婦人弟子仲間に見せびらかしてやろうと思っているのです。ですからそれ以来高林へ行かないのです」 「じゃ何故あなたに隠されるのですか」  と私は矢継早《やつぎばや》に問うた。その熱心な口調にいくらか受け太刀《だち》の気味になった妻木君は苦笑しいしい云った。 「おおかた僕がその鼓を盗みに来たように思っているのでしょう」 「じゃどこに隠してあるかおわかりになりませんか」  と私の質問はいよいよぶしつけになったので、妻木君の返事は益々受け太刀の気味になった。 「……伯母は毎日出かけますのでその留守中によく探して見ますけれども、どうしても見当らないのです」 「外へ出るたんびに持って出られるのじゃないですか」 「いいえ絶対に……」 「じゃ伯母さんは……奥さんはいつその鼓を打たれるのですか」  この質問は妻木君をギックリさせたらしく心持ち羞恥《はにか》んだ表情をしたが、やがて口籠《くちごも》りながら弁解をするように云った。 「私は毎晩不眠症にかかっていますので睡眠薬を服《の》んで寝るのです。その睡眠薬は伯母が調合をして飲ませますので私が睡ったのを見届けてから伯母は寝るのです。その時に打つらしいのです」 「ヘエ……途中で眼のさめるようなことはおありになりませんか」 「ええ。ありません……伯母はだんだん薬を増すのですから……けれどもいつかは利かなくなるだろうと、それを楽しみに待っているのです。もう今年で七年になります」  と云うと妻木君は悄然とうなだれた。 「七年……」と口の中でくり返して私は額に手を当てた、この家じゅうに充ち満ちている不思議さ……怪しさ……気味わるさ……が一時に私に襲いかかって頭の中で風車《かざぐるま》のように回転し初めたからである。この家中のすべてが「あやかしの鼓」に呪われているばかりでなく、私もどうやら呪われかけているような……。  しかし又この青年の根気の強さも人並ではない。そんな眼に会いながら七年も辛抱するとは何という恐ろしい執念であろう。しかもそうした青年をこれ程までにいじめつけて鼓を吾が物にしようとする鶴原夫人の残忍さ……それを通じてわかる「あやかしの鼓」の魅力……この世の事でないと思うと私は頸すじが粟立つのを感じた。  私は殆んど最後の勇気を出してきいた。 「じゃ全くわからないのですね」 「わかりません。わかれば持って逃げます」  と妻木君は冷やかに笑った。私は私の愚問を恥じて又赤面した。 「こっちへお出《いで》なさい。家の中をお眼にかけましょう。そうすれば伯母がどんな性格の女だかおわかりになりましょう。ことによると違った人の眼で見たら鼓の隠してあるところがわかるかも知れません」  と云ううちに妻木君は立ち上った。私は鼓のことを殆んど諦めながらも、云い知れぬ好奇心に満たされて室《へや》を出た。  応接間を出ると左は玄関と、以前人力車を入れたらしいタタキの間《ま》がある。妻木君は右へ曲って私を台所へ連れ込んだ。  それは電気と瓦斯《ガス》を引いた新式の台所で、手入れの届いた板の間がピカピカ光っている。そこの袋戸棚から竃《かまど》の下へとその向う側、洗面所の上下の袋戸、物置の炭俵や漬物桶《つけものおけ》の間、湯殿と台所との間の壁の厚さ、女中部屋の空っぽの押入れ、天井裏にかけた提灯箱《ちょうちんばこ》なぞいうものを、妻木君は如何にも慣れた手付きで調べて見せたが何一つ怪しいところはなかった。 「女中はいないんですか」と私は問うた。 「ええ……みんな逃げて行きます。伯母が八釜《やかま》しいので……」 「じゃ台所は伯母さんがなさるのですね」 「いいえ。僕です」 「ヘエ。あなたが……」 「僕は鼓よりも料理の方が名人なのですよ。拭き掃除も一切自分でやります。この通りです」  と妻木君は両手を広げて見せた。成る程今まで気が附かなかったがかなり荒れている。  ボンヤリとその手を見ている私を引っ立てて妻木君は台所を出た。右手の日本風のお庭に向かって一面に硝子障子がはまった廊下へ出て、左側の取っ付きの西洋間の白い扉《ドア》を開くと妻木君は先に立って這入った。私も続いて這入った。  初めはあまり立派なものばかりなので何の室だかわからなかったが、やがてそれが広い化粧部屋だということがわかった。うっかりすると辷り倒れそうなゴム引きの床の半分は美事な絨氈《じゅうたん》が敷いてある。深緑のカアテンをかけた窓のほかは白い壁にも扉の内側にも一面に鏡が仕掛けてあって、室中《へや》のものが涯《は》てしもなく向うまで並び続いているように見える――西洋式の白い浴槽《ゆぶね》、黒い木に黄金色《きん》の金具を打ちつけた美事な化粧台、着物かけ、タオルかけ、歯医者の手術室にあるような硝子戸棚、その中に並んだ様々な化粧道具や薬品らしいもの、室の隅の電気ストーブ、向うの窓際の大きな長椅子、天井から下った切り子細工の電灯の笠――。  妻木君はその中に這入って先ず化粧台の下からあらため初めた。しかし私はその時鼓を探すということよりもかなり年増になっている筈の鶴原未亡人が、こんな女優のいそうな室でお化粧をしている気持ちを考えながら眼を丸くしていた。 「この室も不思議なことはないんです」  と妻木君は私の顔を見い見い微笑して扉を閉じた。そうして次に今一つある西洋間の青い扉の前を素通りにして一番向うの廊下の端にある日本間の障子に手をかけた。 「この室は……」と私は立ち止まって青い扉を指した。 「その室は問題じゃないんです。一面にタタキになって真中に鉄の寝台が一つあるきりです。問題じゃありません」  と妻木君は何だかイマイマしいような口つきで云った。 「ヘエ……」  と云いながら私はわれ知らず鍵穴に眼を近づけて内部《なか》をのぞいた。  青黒く地並になった漆喰《しっくい》の床と白い古びた土壁が向うに見える。あかり窓はずっと左の方に小さいのがあるらしく、その陰気で淋しいことまるで貧乏病院の手術室である。隣の化粧室と比べるととても同じ家の中に並んで在る室とは思えない。 「その室に僕は毎晩寝るのです。監獄みたいでしょう」  妻木君は冷笑《あざわら》っているらしかったが、その時は私の眼に妙なものが見えた。それは正面の壁にかかっている一本の短かい革製の鞭《むち》で、初め私は壁の汚染《しみ》かと思っていたものだった。 「その室で伯父《おじ》は死んだのです。」  という声がうしろから聞こえると同時に私はゾッとして鍵穴から眼を退《の》けた。同時に妻木君の顔一面に浮んだ青白い笑いを見ると身体がシャンと固《こわ》ばるように感じた。むろん今の鞭の事なぞ尋ねる勇気はなかった。 「こちらへお這入りなさい。この室で伯母は鼓を打つらしいのです」  私はほっと溜息をして奥の座敷に這入った――この家にはこれ切りしか室がないのだ――と思いながら……。  奥の一室《ひとま》の新しい畳を踏むと、私は今まで張り詰めていた気分が見る見る弛《ゆる》んで来るように思った。  青々とした八畳敷の向うに月見窓がある。外には梅でも植えてありそうに見える。  その下に脚の細い黒塗りの机があって、草色の座布団と華奢《きゃしゃ》な桐の角火鉢とが行儀よく並んでいる。その左の桐の箪笥《たんす》の上には大小の本箱が二つと、大きな硝子箱入りのお河童《かっぱ》さんの人形が美しい振り袖を着て立っている。  右手には机に近く茶器を並べた水屋と水棚があって、壁から出ている水道の口の下に菜種《なたね》と蓮華草《れんげそう》の束が白糸で結《ゆ》わえて置いてある。その右手は四尺の床の間と四尺の違い棚になっているが床の間には唐美人の絵をかけて前に水晶の香炉を置き、違い棚には画帖らしいものが一冊と鼓の箱が四ツ行儀よく並べてある。その上下の袋戸と左側の二間一面の押し入れに立てられた新しい芭蕉布《ばしょうふ》の襖《ふすま》や、つつましやかな恰好の銀色の引き手や、天井の真中から下っている黒枠に黄絹張りの電灯の笠まで何一つとして上品でないものはない。  私は思わず今一度溜め息をさせられた。 「これが伯母の居間です」  といううちに妻木君は左側の押し入れの襖を無造作にあけて、青白い二本の手を突込んで中のものを放り出し初めた……縮緬《ちりめん》の夜具、緞子《どんす》の座布団、麻のシーツ、派手なお召の掻《か》い巻《ま》き、美事な朱総《しゅぶさ》のついた括《くく》り枕《まくら》と塗り枕、墨絵を描いた白地の蚊帳《かや》……。 「ええ……もう結構です……」  と私は妙に気が退《ひ》けて押し止めた。しかし妻木君はきかなかった。放り出した夜具類を、もとの通りに片付けると今度は隣り側の襖を開いて内部一面に切り組んである衣装棚を引き出し初めた。 「イヤ。わかりました。わかりました。あなたがお調べになったのなら間違いありません」 「そうですか……それじゃ箪笥を……」 「もう……本当に結構です」 「じゃ御参考に鼓だけお眼にかけておきましょう」  と云ううちに右手の違い棚から一つ宛《ずつ》四ツの鼓箱を取り下した。私はそれを受け取って室《へや》の真中に置いた。  箱から取り出された四ツの仕掛け鼓が私の前に並んだ時私は何となく胸が躍った。この中に「あやかしの鼓」が隠れていそうな気がしたからである。  この道にすこしでも這入った人は皆知っている通り、鼓の胴と皮とは人間でいえば夫婦のようなもので、元来別々に出来ていて皮には皮の性があり胴には胴の性がある。その二つの性が合って始めて一つの音色が出るので、仮令《たとい》どんな名器同志の皮と胴でも、性が合わなければなかなかか鳴らない。調子皮を貼って性を合わせたにしても、今までとは全く違った音色が出るので、今ここに四ツの皮と胴とがあるとすれば、鳴る鳴らぬに拘《かか》わらず総計で十六通りの音色が出るわけである。鶴原未亡人はそれを知っていて、ふだん胴と皮とをかけ換えているのではないか……。  しかしこの考えが浅墓《あさはか》であることは間もなくわかった。妻木君は私と向い合って坐るとすぐに云った。 「私はこの四つの胴と皮とをいろいろにかけ換えてみました。けれどもどれもうまく合いませんでやっぱりもとの通りが一番いい事になります」 「つまりこの通りなんですね」 「そうです」 「みんなよく鳴りますか」 「ええ。みんな伯母が自慢のものです。胴の模様もこの通り春の桜、夏の波、秋の紅葉《もみじ》、冬の雪となっていて、その時候に打つと特別によく鳴るのです。打って御覧なさい」 「伯母さまがお帰りになりはしませんか」 「大丈夫です。今三時ですから。帰るのはいつも五時か六時頃です」 「じゃ御免下さい」と一礼して羽織を脱いだ。妻木君も居住居《いずまい》を直した。  私は手近の松に雪の模様の鼓から順々に打って行ったが、九段にいる時と違って一パイに出す調子を妻木君は身じろぎもせずに聞いてくれた。 「結構なものばかりですね」  と御挨拶なしに賞めつつ私は秋の鼓、夏の鼓と打って来て、最後に桜の模様の鼓を取り上げたが、その時何となく胸がドキンとした。ほかの鼓の胴は皆塗りが古いのに、この胴だけは新らしかった。大方この鼓だけ蒔絵《まきえ》の模様が時候と合わないために、春の模様に塗りかえさしたものであろうが、その前の模様はもしや『宝づくし』ではなかったろうか。  私はまだ打たぬうちに妻木君に問うた。 「この鼓はいつ頃お求めになったのでしょうか」 「サア。よく知りませんが」 「ちょっと胴を拝見してもいいでしょうか」 「エエ。どうぞ」と妻木君は変にカスレた声で云った。  私は黄色くなりかけている古ぼけた調緒《しらべ》をゆるめて胴を外して、乳袋《ちちぶくろ》の内側を一眼見るとハッと息を詰めた。  久能《くのう》張りのサミダレになった鉋目《かんなめ》がまだ新しく見える胴の内側には、蛇の鱗ソックリに綾取った赤樫の木目が目を刺すようにイライラと顕《あら》われていたからである。私の両手は本物の蛇を掴《つか》んだあとのようにわななき出して思わず胴を取り落した。胴はコロコロと私の膝の上から転がり落ちて、横に坐っている妻木君の膝にコツンとぶつかった、 「アッハッハッハッハッ」  と不意に妻木君が笑い出した。たまらなくコミ上げて来る笑いと一緒に、身体をよじって腹を押えて、しまいには畳の上にたおれてノタ打ちまわりながら、ヒステリー患者のように笑いつづけた。 「アッハッハッハッハハハハハ、とうとう一パイ喰いましたね……ヒッヒッホッホッホホハハハハ。ヒッヒッヒッヒッ……」  私は歯の根も合わぬ位ふるえ出した。恐ろしいのか気味悪いのか、それとも腹立たしいのかわからぬまま、妻木君の黒い眼鏡を見つめて戦《おのの》いていたが、やがてその笑いが静まって来ると私の心持ちもそれにつれて不思議に落ち付いて来た。あとには只頭の毛がザワザワするのを感ずるばかりになった。  妻木君は涙を拭い拭い笑い止んだ。 「ああ可笑《おか》しい。ああ面白かった。アハ……アハ……。御免なさい音丸君……じゃない高林君。僕は君を欺《だま》したんです。本当にこの鼓の伝説を知っておられるかどうか試して見たんです。さっきから僕が家《うち》の中を案内なんかしたりしたものだから、君は本当に僕がこの鼓を知らないものと思ったのです。ここに鼓があろうとは思わなかったんです……アハ……アハ……眠り薬の話なんかみんな嘘ですよ。僕は毎日伯母と二人でこの鼓を打っているのですよ……」  私は開いた口が閉《ふさ》がらなかった。茫然《ぼうぜん》と妻木君の顔を見ていた。 「君は失敬ですけれど正直な立派な方です。そうして本当にこの鼓の事を知って来られたんです……」 「それがどうしたんですか」  と私は急に腹が立ったように感じていった。こんなに真剣になっているのに笑うなんてあんまりだと思って……。すると妻木君は眼鏡の下から涙を拭き拭き坐り直したが、今度は全く真面目になってあやまった。 「失敬失敬。憤《おこ》らないでくれ給えね。僕は君を馬鹿にしたんじゃないんです。出来るならこの鼓を絶対に見つからないことにして諦らめてもらって、君をこの鼓の呪いから遠ざけようとしたのです。ですから疑わぬ先にと思ってこの鼓をお眼にかけたのです。けれども見事に失敗しました。この胴の木目のことまで御存じとすれば君は、君のお父さんから本当に遺言をきいて来られたに違いありません。君はこの鼓を手に入れて打ち壊してしまいたいと思っているのでしょう」  青天の霹靂《へきれき》……私は全身の血が頭にのぼった。……と思う間もなく冷汗がタラタラと腋《わき》の下を流れると、手足の力が抜けてガックリとうなだれつつ畳の上に手を支《ささ》えた。 「今まで隠していたが……」と妻木君は黒い眼鏡を外しながら怪しくかすれた声で云った「僕は七年前に高林家を出た靖二郎……ですよ」 「アッ。若先生……」 「……………」  二人の手はいつの間にかシッカリと握り合っていた。年の割に老けた若先生の近眼らしい眼から涙がポロリと落ちた。 「会いとう御座いました……」  と私はその膝に泣き伏した。それと一緒に誰一人肉親のものを持たぬ私の淋しさがヒシヒシと身に迫って来て、いうにいわれぬ悲しさがあとからあとからこみ上げて来た。  若先生も私の背中に両手を置きながら暫く泣いておられるようであったが、やがて切れ切れに云われた。 「よく来た……と云いたいが……僕は……君が……高林家に引き取られたときいた時から……心配していた。もしや……ここへ来はしまいかと……」  私は父の遺言を思い出した。――鼓をいじるとだんだんいい道具が欲しくなる。そうしておしまいにはきっと「あやかしの鼓」に引きつけられるようになる――といった運命の力強さをマザマザと思い知ることが出来た。けれどもそれと同時に若先生と私の膝の前に転がっている「あやかしの鼓」の胴が何でもない木の片《はし》のように思われて来たのは、あとから考えても実に不思議であった。  そのうちに若先生は私をソッと膝から離して改めて私の顔を見られた。 「何もかもすっかりわかったでしょう」 「わかりました。……只一つ……」と私は涙を拭いて云った。 「若先生は……あなたはなぜこの鼓を持って高林家へお帰りにならないのですか」  若先生の眉の間に何ともいえぬ痛々しい色が漂った。 「わかりませんか君は……」 「わかりません」と私は真面目にかしこまった。若先生は細いため息を一つされた。 「それではこの次に君が来られる時自然にわかるようにして上げよう。そうしてこの鼓も正当に君のものになるようにしてあげよう」 「エ……僕のものに……」 「ああ。その時に君の手でこの鼓を二度と役に立たないように壊してくれ給え。君の御先祖の遺言通りに……」 「僕の手で……」 「そうだ。僕は精神上肉体上の敗残者なのだ。この鼓の呪いにかかって……痩せ衰えて……壊す力もなくなったのだ」  と云いつつすこし暗くなった外をかえり見て独言《ひとりごと》のように云われた。 「もう来るかも知れぬ、鶴原の後家さんが……」  私はうな垂れて鶴原家の門を出た。  この日のように頭の中を掻きまわされたことは今までになかった。こんな家《うち》が世の中にあろうとは私は夢にも思い付かなかった。何もかも夢の中の出来事のように変梃《へんてこ》なことばかりでありながらその一つ一つが夢以上に気味わるく、恐ろしく、嬉しく、悲しかった。  恩義を棄て、名を棄て、自分の法事のお菓子を喰べられる若先生――それを甥だと偽って吾が家に封じおめて女中同様にコキ使っているらしい鶴原子爵未亡人……そうしてあの美しい化粧室、あの薄気味のわるい病室、皮革《かわ》の鞭、「あやかしの鼓」――何という謎のような世界であろう。何というトンチンカンな家庭であろう。眼で見ていながら信ずる事が出来ない――。  こんなことを考えて歩いているうちに、私はふと自分の懐中が妙にふくらんでいるのに気が付いた。見れば今しがた玄関で若先生が押し込んだ菓子折の束がのぞいている。私はそれを引き出してどこに棄てようかと考えながら頭を上げた。そのはずみに向うからうつむいて来た婦人にブツカリそうになったので私はハッと立ち止《とど》まった。  向うも立ち止まって顔を上げた。  それは二十四五位に見える色の白い品のいい婦人であった。髪は大きくハイカラに結っていた。黒紋付きに白襟《しろえり》をかけていたが芝居に出て来る女のように恰好がよかった。手に何か持っていたようであるがその時はわからなかった。  私はその時何の意味もなくお辞儀をしたように思う。その婦人もしとやかにお辞儀をしてすれ違った。その時に淡い芳香が私の顔を撫でて胸の奥までほのめき入った。  私は今一度ふり返って見たくてたまらないのを我慢して真直ぐに歩いたために汗が額にニジミ出た。そうして、やっと笄橋《こうがいばし》の袂《たもと》まで来ると、不意に左手の坂から俥《くるま》が駆け降りて来て私とすれ違った。私はその拍子にチラリとふり向いた。  黒い姿が紫色の風呂敷包みを抱えて鶴原家の前の木橋の上に立っていた。白い顔がこっちを向いていた。  私は逃げるように横町に外《そ》れた。  この間は失礼しました。  私はあの鼓の魔力にかかって精魂を腐らした結果御覧の通りの無力の人間に成り果てました。しかしその核心には、まだ腐り切っていない或るものが残っていることを君は信じて下さるでしょう。私もそう信じてこの手紙を書きます。  二十六日の午後五時キッカリに鶴原家にお出《いで》が願えましょうか。御都合がわるければそれ以後のいつでもよろしいから、きめて下さい。時間はやはりその頃にお願いしたいのです。  今度お出での時にはあやかしの鼓がきっと君のものになる見込みが附きました。尚その時に君がまだ御存じのない秘密もおわかりになることと思います。それは矢張り音丸家と鶴原家に古くから重大な関係を持っていることで、君にとっては非常に意外な、且《か》つ不可思議な事実であろうことを信じます。  しかし来られる時に誠に失礼ですが御注文申し上げたいことがあります。奇怪に思われるかも知れませんが是非左様願いたいと思います。  二十六日までにまだ十日ばかりありますからその間に君は一切の服装を新調して来て頂きたい。鼓の家元の若先生らしく、そうして出来るだけ立派な外出姿に扮装して来て頂きたい。無論誰にも秘密です。理由はお出《いで》になればすぐわかります。東洋銀行の小切手金一千円也を封入致しておきます。鶴原未亡人の名前ですが私の貯金の一部です。私の後を継いで下すった御礼の意味とお祝いの意味を兼ねて誠に軽少ですが差し上げます。尚私たちお互いの身の上は今まで通りとして一切を秘密にして下さい。鶴原家に来られてもです。  あやかしの鼓が百年の間に作って来た悪因縁が、君の手で断ち切れるか切れないかは二十六日の晩にきまるのです。同時に七年間一歩もこの家の外に出なかった僕が解放されるか否かも決定するのです。君の救いの手を待ちます。    三月十七日                    高林靖二郎   音丸久弥様  私はこの手紙を細かく引き裂いて自動車の窓から棄てた。ちょうど芝公園を走り抜けて赤羽橋の袂を右へ曲ったところであった。  眼の前の硝子《ガラス》板に私の姿が映ってユラユラと揺れている。  三越の番頭が見立ててくれた青い色の袷《あわせ》に縫紋《ぬいもん》、白の博多帯、黄色く光る袴、紫がかった羽織《はかま》、白足袋《しろたび》にフェルト草履《ぞうり》、上品な紺羅紗《こんらしゃ》のマントに同じ色の白リボンの中折れという馬鹿馬鹿しくニヤケた服装が、不思議に似合って神妙な遊芸の若先生に見えた。ふだんなら吹き出したかも知れないがこの時はそれどころではなかった。  私はこの数日間のなやみに窶《やつ》れた頬を両手で押えながら、運転手のうしろの硝子板に顔を近寄せて見た。頭を刈って顔を剃ったばかりなのに年が二つ位老《ふ》けたような気がする。赤かった頬の色もすっかり消え失せているようである。  自動車が鶴原家に着くと若先生……ではない妻木君が、この間の通りの紺飛白《こんがすり》の姿のまま色眼鏡をかけないで出て来て三つ指を突いた。水仕事をしていたらしく真赤になった両手をさし出して、運転手が持って来た私の古着の包みを受け取って横の書生部屋にそっと入れた。それから今一つ塩瀬《しおせ》の菓子折の包みを受け取ると、わざとらしく丁寧に一礼して先に立った。私は詐欺か何かの玉に使われているような気になって磨き上げた廊下をあるいて行った。  奥の座敷は香木の香《か》がみちみちてムッとする程あたたかかった。しかし未亡人は居なかったので私は何やら安心したようにホッとして程よい処に坐った。  室《へや》の様子がまるで違ったように思われたが、あとから考えるとあまり違っていなかった。それは室の真中に吊された電燈の笠の黄色いのが取り除《の》けられて華やかな紫色にかわったせいであろう。真中の鉄色のふっくりした座布団が二つ、金蒔絵をした桐の丸胴の火鉢、床の間には白孔雀《しろくじゃく》の掛け物と大きな白牡丹《しろぼたん》の花活《はない》けがしてあって、丸い青銅の電気ストーブが私の背後《うしろ》に真赤になっていた。  しずかに妻木君が這入って来て眼くばせ一つせずにお茶を酌《く》んで出した。私も固くなってお辞儀をした。何だか裁判官の出廷を待つ罪人のような気もちになった。  私は妻木君が出てゆくのを待ちかねて違い棚の上に露出《むきだ》しに並んでいる四ツの鼓を見た。何だかそれが今夜私を死刑にする道具のように見えたからである。――「四ツの鼓は世の中に世の中に。恋という事も。恨《うらみ》ということも」――という謡曲の文句を思い出しながら私は気を押し鎮めた。  うしろの障子《しょうじ》が音もなく開いて鶴原未亡人が這入って来た気はいがした。  私はこの間のように眩惑されまいと努力しながら出来るだけしとやかに席を辷《すべ》った。 「ま……どうぞ……」と澄み通った気品のある声で会釈しながら、未亡人は私の真向いに来てほの紅い両手の指を揃えた。  私の決心は見る間に崩れた。あおぎ見ることも出来ないで畳にひれ伏しつつ、今までとはまるで違った調子に高まって行く自分の胸の動悸《どうき》をきいているうちに、この間の得《え》もいわれぬ床しい芳香が私の全身に襲いかかって来た。 「初めまして……ようこそ……又只今は……御噂はかねて」  なぞ次から次へきこえる言葉を夢心地できいているうちに、私は気もちがだんだん落ち付いて来るように思った。そうして「まあどうぞ……おつき遊ばして……それではあの……」という言葉をきくと間もなく顔を上げる事が出来た。その時にはじめて鶴原未亡人の姿をまともに見る事が出来た。  艶々《つやつや》した丸髷《まるまげ》。切れ目の長い一重まぶた。ほんのりした肉づきのいい頬。丸い腮《あご》から恰好のいい首すじへかけて透きとおるように白い……それが水色の着物に同じ色の羽織を着て黒い帯を締めて魂のない人形のように美しく気高く見えた。  私はこの間からあこがれていた姿とはまるで違った感じに打たれて暫くの間ボンヤリしていた。ハテナ。自分は何の用でこの婦人に会いに来たのか知らんとさえ思った。  その時未亡人は前の言葉の続きらしく静かに云った。 「それで私は甥を叱ったので御座います。なぜおかえし申したかって申しましてね……若先生が音丸家の御血統で、あの鼓を御覧になりたいとおっしゃったならばこんないい機会《おり》は……」  さては私はまだ鼓を見ないことになっているのだな……と思って未亡人の顔を見た。けれどもその長い眉と黒く澄んだ眼の気品に打たれて又伏し眼になった。 「……なぜお眼にかけなかったのか。こんないい幸いなことはないではありませんか。この年月二人で打っていながら一度もそのシンミリとその呪いの音をきいた事がないではありませんか。あの鼓を打ってホントの音色をお出しになるほどのお方ならば私はいつでもあの鼓をお譲りしますと……」  私は又頭を上げないわけに行かなかった。すると今度は未亡人の方が淋しい恰好で伏眼になっている。 「……そう申しますと甥が申しますには、それなら今からお手紙を差し上げよう。いま一度お運びをお願いしようと申します。そんなぶしつけなことをと申しますと、それはきっとお出で下さるにちがいない。まだあの鼓をお打ちにならないからだと申します……オホ……ほんとに失礼なことばかり……」  未亡人は赤面して私の顔を見た。私もその時急に耳まで火照《ほて》って来るのを感じつつ苦笑した――モナカの事件も存じております――と云われそうな気がして……。 「けれども私もすこし考えが御座いましたので、甥に筆を執《と》らせましてあのような手紙を差し上げさせましたので……まことに申訳《もうしわけ》……」と未亡人は頭を下げた。 「どう致しまして……」  と私もやっとの思いで初めて口を利くと慌てて袂からハンカチを出して顔を拭いた。途端に頭の上の電燈が眩《まぶ》しく紫色に灯《と》もった。 「何か御用で……」と妻木が顔を出した。未亡人はいつの間にか呼鈴《ベル》を押したらしい。 「お前用事が済んだのかえ」と云いつつ未亡人はジロリと妻木君を見据えたが、その一瞬間に未亡人の眼が、冷たいというよりも寧《むし》ろ残忍な光りを帯びたのを私はありありと見た。私の神経は急に緊張した。嘗《かつ》てきいていた『美人の凄さ』が一時に私の眼に閃《ひら》めき込んだからである。そうして同時にその『美しい凄さ』にさながら奴隷のように支配されている妻木君――若先生の姿がこの上なくミジメに瘠《や》せて見えたからである。 「ハイ。すっかり……」と妻木君は女のように、しとやかに三つ指をついた。 「……じゃこちらへお這入り。失礼して……あとを締めて……それから、その鼓を四ツともここへ……」  その言葉の通りに妻木君は影のように動いて四ツの鼓を未亡人と私の間に並べ終ると、その傍にすこし離れてかしこまった。  未亡人は無言のまま四ツの鼓を一渡り見まわしたが、やがてその中の一つにジッと眼を注《そそ》いだ――と思うとその頬の色は見る見る白く血の気が失せて、唇の色までなくなったように見えた。  私たち二人も固唾《かたず》を呑んで眼を瞠《みは》った。  いい知れぬ鬼気がウッスリと室に満ちた。  突然かすかな戦慄《せんりつ》が未亡人の眉を伝わったと思うと、未亡人はいつの間にか手にしていた絹のハンカチで眼を押えた。  私はハッとした。妻木君も驚いたらしい瞬きを三ツ四ツした。そのまま未亡人は二分か三分の間ヒソヒソと咽《むせ》び泣いたが、やがてハンカチの下から乱れた眉と睫《まつげ》を見せた。それから小さな咳を一つすると繊細《かぼそ》い……けれども厳《おごそ》かな口調で云った。 「わたくしはこんな時機の来るのを待っておりました。こうして私とこの鼓との間に結ばれました因縁を断ち切って頂こうと思ったので御座います」 「因縁……」と私は思わず口走った。 「それはどういう……」 「それは私が私の身の上に就《つい》て一口申し上ぐれば、おわかりになるので御座います」 「あなたの……」 「ハイ……しかし只今は、わざとそれを申し上げません。押しつけがましゅう御座いますけれども、それは私の生命《いのち》にも換えられませぬお恥ずかしい秘密で御座いますから、この四ツの鼓の中から『あやかしの鼓』をお選《よ》り出し下すって、物語に伝わっております通りの音色をお出し下さるのを承わった上で御座いませぬと……まことに相済みませぬが、只今それをお願い申し上げたいので御座いますが……」  未亡人の言葉の中には婦人でなければ持ち得ぬ根強い……けれども柔らかい力が籠っていた。三人の間には更に緊張した深い静けさが流れた。  不意にある眼に見えぬ力に打たれたように恭《うやうや》しく一礼しながら私はスラリと座布団を辷り降りて羽織を脱いだ。そうしてイキナリ眼の前の桜の蒔絵《まきえ》の鼓に手をかけると、ハッと驚いて唇をふるわしている未亡人を尻目にかけた。そうして武士が白刃の立ち合いをする気持ちで引き寄せて身構えた。 「あやかしの鼓」の皮は、しめやかな春の夜《よ》の気はいと、室に充ち満ちた暖かさのために処女の肌のように和《やわ》らいでいるのを指が触わると同時に感じた。その表皮と裏皮に、さらに心を籠めた息を吐きかけると、やおら肩に当てて打ち出した。……これを最後の精神をひそめて……。  初めは低く暗い余韻のない……お寺の森の暗《やみ》に啼《な》く梟《ふくろう》の声に似た音色が出た。喜びも悲しみもない……只淋しく低く……ポ……ポ……と。  けれども打ち続いて出るその音が私の手の指になずんでシンミリとなるにつれて、私は眼を伏せ息を詰めてその音色の奥底に含まれている、或るものをきくべく一心に耳を澄ました。  ポ……ポ……という音の底にどことなく聞こゆる余韻……。  私は身体《からだ》中の毛穴が自然《おのず》と引き緊まるように感じた。  私の先祖の音丸久能《おとまるくのう》は如何にも鼓作りの名人であった。けれどもこの鼓を作り上げた時に自分が思っている以外の気もちがまじっているのに心づかなかった。  久能は云った。――私は恋にやぶれて生きた死骸になった心持ちだけをこの鼓に籠めた。私の淋しい空《から》になった心持ちだけをこの鼓の音《ね》にあらわした。怨む心なぞは微塵《みじん》もなかった――と……。  しかしそれはあやまっていた。  久能が自分の気持ちソックリに作ったというこの鼓の死んだような音色……その力なさ……陰気さの底には永劫《えいごう》に消えることのない怨みの響きが残っている。人間の力では打ち消す事の出来ない悲しい執念の情調《こころ》がこもっている。それは恐らく久能自身にも心付かなかったであろう。無間《むげん》地獄の底に堕ちながら死のうとして死に得ぬ魂魄《こんぱく》のなげき……八万奈落の涯《はて》をさまよいつつ浮ぼうとして浮び得ぬ幽鬼の声……これが恋に破れたものの呪いの声でなくて何であろう。久能の無念の響きでなくて何であろう。  百年前の、ある月の、ある日、綾姫はこの鼓を打って、この音をきいた。そうして眼にも見えず耳にも止まり難《にく》い久能の心の奥の奥の呪いが、云い知れぬ深い怨みをこめてシミジミ自分の心に伝わって来るのを只独り感じたのであろう。死ぬよりほかにこの呪いから逃れるすべがない事をくり返しくり返し思い知らせられたであろう。  ……そうして百年後の今日只今……  ……私の顔から冷たい汗が流れ初めた。室中の暖か味が少しも身体に感じなくなった。背中がゾクゾクして来ると共に肩から手足の力が抜けて鼓を取り落しそうになった。眼の前が青白く真暗くなりそうになって力なく鼓を膝の上におろした。わななく手でハンカチを掴んで額の汗を拭いた。  妻木君が慌てて羽織を着せた。鶴原未亡人は立ち上って袋戸棚から洋酒の小瓶を取り出して来てふるえる手で私に小さなグラスを持たした。そうして私に火のような酒を一杯グッと飲み干させると今一杯すすめた。  私は手を振りながらフーッと燃えるような息を吐《つ》いた。 「大丈夫で御座いますか……御気分は……」  と未亡人は私の顔をのぞいた。妻木も私の顔を心配そうに見ている。私は微笑して肩を大きくゆすりながら羽織の紐をかけた。飲み慣れぬアルコール分のおかげで血のめぐりがズンズンよくなるのを感じながら……。 「まあ……ほんとに雪のように真白におなり遊ばして……今はもうよほど何ですけれど……」  と未亡人は魘《おび》えた声で云った。妻木君はホッとため息をした。 「けれどもまあ……何というかわった音色で御座いましょう。そうして又何というお手の冴えよう……私は髪の毛を引き締められるようにゾッと致しましたよ……」  と感激にふるえるような声で云いつつ未亡人は立ち上って洋酒の瓶を仕舞うと又座に帰ったが、やがてふと思い出したように黒い眼で私の顔をジッと見ると、両手を畳に支えて身を退けながらひれ伏した。 「まことに有り難う存じました。私はおかげ様で生れて初めてこの鼓の音色を本当にうかがうことが出来ました。あなた様は正《まさ》しく名人のお血すじをお享《う》け遊ばしたお方に違い御座いません。この上は私も包まずに申し上ます。私こそ……」  と云いさして未亡人は両手の間に頭を一層深く下げた。 「私こそ……今大路の……綾姫の血すじを……受けましたもので御座います」 「アッ」  と私は思わず声を立てて妻木君をかえり見た。しかし妻木君は知っているのかいないのかジッと未亡人の水々しい丸髷を見下したまま身じろぎ一つしなかった。未亡人は両手の間に顔を埋めたまま言葉を続けた。 「申すもお恥かしい事ばかりで御座いますが、今大路家は御維新後零落致しまして一粒種の私は大阪へある賤《いや》しい稼業に売られようと致しましたのを、こちらの主人に救われましたので御座います。申すまでもなくこの家にこの鼓が……」  とやおら顔を上げて鼓から二人の顔へ眼を移した。曇った顔をして曇った声で云った。 「……この家にこの鼓が御座いますことは、とくに承わっておりましたが、その鼓に呪われてこのような淋しい身の上になりまして……その上にこのような不思議な……御縁になりましょうとは……」 「わかりました」と私は自分の感情に堪え得ないで、それを打ち切るように云った。 「よくわかりました。サ。お顔をお上げ下さい。つまるところこの三人は、この鼓に呪われたものなのです。呪われてここに集まったものなのです。けれども今日限りその因縁はなくなります。もしあなたがお許し下されば、私はこの鼓を打ち砕いて私たちの先祖の罪と呪いをこの世から消し去ります。そうしてあんな陰気臭い伝説にまつわられない明るい自由の世界に出ようではありませんか」 「ま嬉しい」  と未亡人は涙に濡れた顔を上げて不意に私の手を執って握り締めた。その瞬間私の全身の血は今までとはまるで違っためぐり方をし初めた。未亡人は両手に云い知れぬ力を籠めて云った。 「マア何というお勇ましいお言葉でしょう。そのお言葉こそ私がお待ちしていたお言葉です。それで私はきょうこの鼓と別れるお祝いにつまらないものを差し上げたいと思いまして……」 「アッ……それは……」と私は腰を浮かした。しかし未亡人の手はしっかりと引き止めた。 「いいえ……いけません……」 「でもそれは又別に……」 「いいえ……今日只今でなければその時は御座いません……サ……お前早くあれを……」  と妻木君をかえり見た。  妻木君は追い立てられるように室を出た。  あとを見送った未亡人はやっと私の手を離してニッコリした。  私は最前の洋酒の酔いがズンズンまわって来るのを感じながら両手で頬と眼を押えた。  頭が痛い……と思いながら私は眼を閉じて夜具を頭から引き冠った。すると今まで着た事のない絹夜具の肌ざわりを感ずると共に、得《え》ならぬ芳香がフワリと鼻を撲《う》ったのがわかった。  私は全く眼が醒めた。けれども起き上る前にシクシクと痛む頭の中から無理に記憶を呼び起していた――さっきあれからどうしたか――。  眼の前に御馳走の幻影が浮んだ。それは皆珍しいものばかりで贅沢《ぜいたく》を極めたものであった。そのお膳や椀には桐の御紋が附いていた。  その次には晴れやかな鶴原未亡人の笑顔がまぼろしとなって現われた。 「あやかしの鼓とお別れのお祝いですから」  というので無理に盃をすすめられたことを思い出した。 「もうお一つ……」  とニッコリ白い歯を見せた未亡人の眼に含まれた媚《こび》……それをどうしても飲まぬと云い張った時、飲まされた『酔いざまし』の水薬の冷たくてお美味しかったこと……。  それから先の私の記憶は全く消え失せている。只あおむけに寝ながらジッと見詰めていた電燈の炭素線のうねりが不思議にはっきりと眼に残っている。  私は酔いたおれて鶴原家に寝ているのだ。 「失策《しま》った」と私は眼を開いて夜具の襟から顔を出した。  さっきの未亡人の室に違いない。只電灯に桃色のカバーがかかっているだけが最前と違う。耳を澄ますとあたりは森閑《しんかん》として物音一つない。 「ホホホホホホホホホ」  と不意に枕元で女の笑い声がした。私は驚いて起きようとしたが、その瞬間に白い手が二本サッと出て来て夜着の上からソッと押え附けた。同時にホンノリと赤い鶴原未亡人の顔が上からのぞいてニッタリと笑った。溶けそうな媚を含んだ眼で私を見据えながら、仄《ほの》かに酒臭い息を吐いて云った。 「駄目よ。もう遅いわよ……諦らめて寝ていらっしゃいオホホホホホホホ」  錐《きり》で揉《も》むような痛みを感じて私は又頭を枕に落ち付けた。そうして何事も考えられぬ苦しさのため息をホッと吐いた。  コトリコトリと音がする。私の枕元で未亡人が何か飲んでいるらしく、やがて小さなオクビが聞えた。同時に滑《なめ》らかな声がし初めた。 「とうとうあなたは引っかかったのね。オホホホホ……ほんとに可愛い坊ちゃん。あたしすっかり惚れちゃったのよ。オホホホホ」  私は頭の痛いのを忘れてガバとはね起きた。見れば私は新しい更紗模様の長繻袢一つになってビッショリと汗をかいている。  未亡人も友禅模様の長繻袢をしどけなく着て私の枕元に横坐りをしている。前には銀色の大きなお盆の上に、何やら洋酒を二三本並べて薄いガラスのコップで飲んでいたが、私が起きたのを見ると酔いしれた眼で秋波《しゅうは》を送りながら空のグラスをさしつけた。私は払い除《の》けた。 「オホ……いけないこと? 弱虫ねあなたは、オホホホ……でもこうなっちゃ駄目よ。どんなにあなたがもがいても云い訳は立たないから。あなたは私と一緒に東京を逃げ出して、どこか遠方へ行って所帯を持つよりほかないわよ……今から……すぐに」 「エッ……」 「オホホホホ」と未亡人は一層高い調子で止め度なく高笑いをした。私はクラクラと眼が眩《くら》みそうになって枕の上に突伏した。 「あのね……」  と未亡人はやっと笑い止んだ。その声はなめらかに落ち付いていた。私の枕元に坐り直したらしい。 「音丸さん。よく気を落ちつけて、まじめにきいて頂戴よ。あなたと私の生命《いのち》にかかわることなんですから。よござんすか……。あたしね。この間往来でお眼にかかった時にすぐにあなただということがわかったのです。だって若先生の戒名をあなたが落したのを拾ったんですもの。それから妻木を問い訊してあなたと御一緒にお菓子をいただいたあと、それを隠そうとしたことを白状させました。そうしてそれと一緒にあなたのお望みのお話も妻木からきいたんです。ですからあの手紙を書かせたんです。そうしてその時にもう今夜のことを覚悟していました。よござんすか」 「覚悟とは……」  と私は突然に起き直って問うた。けれども未亡人の燃え立つような美しさと、その眼に籠めた情火に打たれて意気地なくうなだれた。 「覚悟ったって何でもないんです。私は妻木に飽きちゃったんです。血の気のない影法師みたいな男がイヤになったんです。あんな死人みたいな男はあたし大嫌いなんです……」  と云ううちに未亡人は一番大きなコップに並々と金茶色の酒を注《つ》ぐと半分ばかり一息に呑み干した。それから真赤な唇をチョッと嘗めて言葉をつづけた。 「だけどあなたは無垢《むく》な生き生きした坊ちゃんでした。だから妾《わたし》は好きになっちゃったんです。あたしは、あたしの云う通りになる男に飽きたんです。あの鼓の音にそそられて、そんな男をオモチャにするのに飽きていたんです。私の顔ばかり見ないで気もちを見てくれる人を探していたんです。その時にあなたに会ったんです。私は前の主人の墓参りの帰りにあなたにお眼にかかったのを何かの因縁だと思うのよ。私はもうあなたの純な愛をたよりに生きるよりほかに道がなくなったのよ」  と云いつつ未亡人は両手をあげて心持ち歪《ゆが》んだ丸髷を直し初めた。私は人に捕えられた蜘蛛《くも》のように身を縮めた。 「ですから私は今日までのうちにすっかり財産を始末して、現金に換えられるだけ換えて押し入れの革鞄に入れてしまいました。みんなあなたに上げるのです。明日死に別れるかも知れないのを覚悟してですよ。そんなにまで私の気持ちは純になっているのですよ……只あの『あやかしの鼓』だけは置いて行きます……可哀そうな妻木敏郎のオモチャに……敏郎はあれを私と思って抱き締めながら行きたいところへ行くでしょう」  私は両手を顔に当てた。 「もう追つけ三時です。四時には自動車が来る筈です。敏郎は夜中過ぎからグッスリ睡りますからなかなか眼を醒ましますまい」  私は両手を顔に当てたまま頭を強く左右に振った。 「アラ……アラ……あなたはまだ覚悟がきまっていないこと……」  と云ううちに未亡人の声は怒りを帯びて乱れて来た。 「駄目よ音丸さん。お前さんはまだ私に降参しないのね。私がどんな女だか知らないんですね……よござんす」  と云ううちに未亡人が立ち上った気はいがした。ハッと思って顔を上げると、すぐ眼の前に今までに見たことのない怖ろしいものが迫り近付いていた。……しどけない長繻袢の裾と、解けかかった伊達巻《だてま》きと、それからしなやかにわなないている黒い革の鞭と……私は驚いてうしろ手を突いたまま石のように固くなった。  未亡人はほつれかかる鬢《びん》の毛を白い指で掻き上げながら唇を噛んで私をキッと見下した。そのこの世ならぬ美しさ……烈しい異様な情熱を籠めた眼の光りのもの凄さ……私は瞬《まばたき》一つせずその顔を見上げた。  未亡人は一句一句、奥歯で噛み切るように云った。 「覚悟をしてお聞きなさい。よござんすか。私の前の主人は私のまごころを受け入れなかったからこの鞭で責め殺してやったんですよ。今の妻木もそうです。この鞭のおかげで、あんなに生きた死骸みたように音《おと》なしくなったんです。その上にあなたはどうです。この『あやかしの鼓』を作って私の先祖の綾姫を呪い殺した久能の子孫ではありませんか。あなたはその罪ほろぼしの意味からでも私を満足さしてくれなければならないではありませんか。この鼓を見にここへ来たのは取り返しのつかない運命の力だとお思いなさい。よござんすか。それとも嫌だと云いますか。この鞭で私の力を……その運命の罰を思い知りたいですか」  私の呼吸は次第に荒くなった。正《まさ》しく綾姫の霊に乗り移られた鶴原未亡人の姿を仰いでひたすらに喘《あえ》ぎに喘いだ。百年前の先祖の作った罪の報いの恐ろしさをヒシヒシと感じながら……。 「サ……しょうちしますか……しませんか」  と云い切って未亡人は切れるように唇を噛んだ。燐火のような青白さがその顔に颯《さっ》と閃くと、しなやかな手に持たれたしなやかな黒鞭がわなわなと波打った。 「ああ……わたくしが悪う御座いました」  と云いながら私は又両手を顔に当てた。  ……バタリ……と馬の鞭が畳の上に落ちた。  ガチャリと硝子の壊れる音がして不意に冷たい手が私の両手を払い除《の》けた……と思う間もなく眼を閉じた私の顔の上に烈しい接吻が乱れ落ちた。酒臭い呼吸。女の香《か》、お白粉《おしろい》の香、髪の香、香水の香――そのようなものが死ぬ程せつなく私に襲いかかった。 「許して……許して……下さい」  と私は身を悶えて立ち上ろうとした。 「奥さん……奥さん奥さん」  と云う妻木君の声が廊下の向うからきこえた。同時にポーッと燃え上る火影《ほかげ》が二人でふり返って見ている障子にゆらめいて又消えた。 「火事……ですよ」という悲しそうな妻木君の声が何やらバタバタという音と一緒にきこえた。  未亡人はハッとしたらしく、立ち上って夜具の上を渡って障子をサラリと開いた。同時に廊下のくらがりの中に白い浴衣《ゆかた》がけで髪をふり乱した妻木君が現われて未亡人の前に立ち塞《ふさ》がった。 「アッ」と未亡人は叫んだ。両手で左の胸を押えて空《くう》に身を反らすとよろよろと夜具の上を逃げて来たが、私の眼の前にバッタリとうつ向けに倒れて苦しそうに身を縮めた。私は廊下に突立っている妻木君の姿と、たおれている未亡人の姿を何の意味もなく見比べながら坐っていた。  妻木君はつかつかと這入って来て未亡人の枕元に立った。手に冷たく光る細身の懐剣を持って妙にニコニコしながら私の顔を見下した。 「驚いたろう。しかしあぶないところだった。もすこしで此女《こいつ》の変態性欲の犠牲になるところだった。こいつは鶴原子爵を殺し、僕を殺して、今度は君に手をかけようとしたのだ。これを見たまえ」  と妻木君は左の片肌を脱いで痩せた横腹を電灯の方へ向けた。その肋骨《あばら》から背中へかけて痛々しい鞭の瘢痕《あと》が薄赤く又薄黒く引き散らされていた。 「おれはこれに甘んじたんだ」と妻木君は肌を入れながら悠々と云った。「この女に溺《おぼ》れてしまって斯様《こん》な眼に会わされるのが気持よく感ずる迄に堕落してしまったんだ。けれども此女《こいつ》はそれで満足出来なくなった。今度はおれを失恋させておいて、そいつを見ながら楽しむつもりでお前を引っぱり込んだ。おれが起きているのを承知で巫山戯《ふざけ》て見せた。……けれどもおれが此女《こいつ》を殺したのは嫉妬《しっと》じゃない。もうお前がいけないと思ったからこの力が出たんだ。お前を助けるためだったんだ」 「僕を助ける?」と私は夢のようにつぶやいた。 「しっかりしておくれ。おれはお前の兄なんだよ。六ツの年に高林家へ売られた久禄だよ」  と云ううちにその青白い顔が涙をポトポト落しながら私の鼻の先に迫って来た。痩せた両手を私の肩にかけると強くゆすぶった。  私はその顔をつくづくと見た。……その近眼らしい痩せこけた顔付きの下から、死んだおやじの顔がありありと浮き上って来るように思った。兄――兄――若先生――妻木君――と私は考えて見た。けれども別に何の感じも起らなかった。すべてが活動写真を見ているようで……。  その兄は浴衣の袖で涙を拭いて淋しく笑った。 「ハハハハハ、あとで思い出して笑っちゃいけないよ久弥……おれははじめて真人間に帰ったんだ。今日はじめて『あやかしの鼓』の呪いから醒めたんだ」  兄の目から又新しい涙が湧いた。 「お前はもうじきに自動車が来るからそれに乗って九段へ帰ってくれ。その時にあの押し入れの中にある鞄を持って行くんだよ。あれはこの家の全財産でお前が今しがた此女《こいつ》から貰ったものだ。あとは引き受ける。決してお前の罪にはしないから。只老先生へだけこの事を話してくれ。そうしておれたちのあとを……弔《とむら》って……」  兄はドッカとうしろにあぐらをかいた。浴衣の両袖で顔を蔽《おお》うてさめざめと泣いた。私はやはり茫然として眼の前に落ちた革の鞭と短刀とを見ていた。  そのうちに未亡人の身体が眼に見えてブルブルと震え始めた。 「ウ――ムムム」という低い細い声がきこえると、未亡人が青白い顔を挙げながら私と兄の顔を血走った眼で見まわした。私は何故ともなくジリジリと蒲団《ふとん》から辷り降りた。未亡人の白い唇がワナワナとふるえ始めた。 「す……み……ませ……ん」  とすきとおるような声で云いながら、枕元にある銀の水注《みずさ》しの方へ力なく手を伸ばした。私は思わず手を添えて持ち上げてやったが、未亡人の白い指からその銀瓶の把手《はんどる》に黒い血の影が移ったのを見ると又ハッと手を引込めた。  未亡人は二口三口ゴクゴクと飲むと手を離した。蒲団から畳に転がり落ちた銀瓶からドッと水が迸《ほとばし》り流れた。  未亡人はガックリとなった。 「サ……ヨ……ナ……ラ……」  と消え消えに云ううちに夫人の顔は私の方を向いたまま次第次第に死相をあらわしはじめた。  兄は唇を噛んでその横顔を睨み詰めた。  自動車が桜田町へ出ると私は運転手を呼び止めて、「東京駅へ」と云った。何のために東京駅へ行くかわからないまま……。 「九段じゃないのですか」と若い運転手が聴き返した。私は「ウン」とうなずいた。  私の奇妙な無意味な生活はこの時から始まったのであった。  東京駅へ着くと私はやはり何の意味もなしに京都行きの切符を買った。何の意味もなしに国府津《こうづ》駅で降りて何の意味もなしに駅前の待合所に這入って、飲めもしない酒を誂《あつら》えて、グイグイと飲むとすぐに床を取ってもらって寝た。  夕方になって眼が醒めたがその時初めて御飯を食べると、何の意味もなしに又西行きの汽車に乗った。その時に待合所の女中か何かが見覚えのない小さな鞄を持って来たのを、 「おれのじゃない」  と押し問答したあげく、やっと昨夜《ゆうべ》鶴原家を出がけに兄が自動車の中に入れてくれたものであることを思い出して受け取った。同時にその中に紙幣が一パイ詰まっていることも思い出したが、その時はそれをどうしようという気も起らなかったようである。  汽車が動き出してから気が付くと私の傍《かたえ》に東京の夕刊が二枚落ちている。それを拾って見ているうちに『鶴原子爵未亡人』という大きな活字が眼についた。  ▲きょうの午前十時に美人と淫蕩《いんとう》で有名な鶴原子爵未亡人ツル子(三一)が一人の青年と共に麻布笄町の自宅で焼け死んだ。その表面は心中と見えるが実は他殺である。その証拠に焼け爛《ただ》れた短刀の中味は二人の枕元から発見されたにも拘わらず、その鞘《さや》の口金《くちがね》はそこから数間を隔てた廊下の隅から探し出された。  ▲未亡人は二三日前東洋銀行から預金全部を引き出したばかりでなく、家や地面も数日前から金に換えていたがその金は焼失していないらしい。  ▲未亡人と一緒に焼け死んでいた青年は、同居していた夫人の甥で妻木敏郎(二七)という青年であることが判明した。同家には女中も何も居なかったらしく様子が全くわからないが痴情の果てという噂もある。  ▲当局では目下全力を挙げてこの怪事件を調査中……。  そんな事を未亡人の生前の不行跡と一緒に長々と書き並べてある。それを見ているうちにあくびがいくつも出て来たので、私は窓に倚《よ》りかかったままウトウトと居眠りをはじめた。  あくる朝京都で降りると私はどこを当てともなくあるきまわった。すこし閑静なところへ来ると通りがかりの人を捕まえて、 「ここいらに鶴原卿の屋敷跡はありませんでしょうか」  ときいた。その人は妙な顔をして返事もせずに行ってしまった。それから今大路家や音丸家のあとも一々尋ねて見たがみんな無駄骨折りにおわった。そこに行ってどうするというつもりもなかったけれども只何となく自烈度《じれった》かった。  夕方になって祇園《ぎおん》の通りへ出たが、そこの町々の美しいあかりを見ると私はたまらなくなつかしくなった。何だか赤ん坊になって生れ故郷へ帰ったような気持になってボンヤリ立っていると向うから綺麗な舞い妓《こ》が二人連れ立って来た。その右側の妓の眼鼻立ちが鶴原の未亡人にソックリのように見えたので、私は思わず微笑しながら近付いて名前をきいたら右側のは『美千代』、左側のは『玉代』といった。「うちは?」ときいたら美千代が向うの角を指した。その手に名刺を渡しながら、 「どこかで僕とお話ししてくれませんか」  というと二人で名刺をのぞいていたが眼を丸くしてうなずき合って私の顔を見ながらニッコリするとすこし先の『鶴羽《つるば》』という家《うち》に案内した。そうして二人共一度出て行くと間もなく美千代一人が着物を着かえて這入って来たので私は奇跡を見るような気持になった。  その時仲居《なかい》は『高林先生』とか『若先生』とか云って無暗にチヤホヤした。私は気になって「本当の名前は久弥」と云ったら「それでは御苗字は」ときいたから、 「音丸」と答えたら美千代が腹を抱えて笑った。私も東京を出て初めて大きな声で笑った。  それから後私は鶴原未亡人に似た女ばかり探した。芸妓《げいしゃ》。舞妓。カフェーの女給。女優なぞ……しまいには只鼻の恰好とか、眼付きとか、うしろ姿だけでも似ておればいいようになった。それから大阪に行った。  大阪から別府、博多、長崎、そのほか名ある津々浦々を飲んでは酔い、酔うては女を探してまわった。昨夜《ゆうべ》鶴原未亡人に丸うつしと思ったのが、あくる朝は似ても似つかぬ顔になっていたこともあった。その時私は潜々《さめざめ》と泣き出して女に笑われた。  酔わない時は小説や講談を読んで寝ころんでいた。そうしてもしや自分に似た恋をしたものがいはしまいか。いたらどうするだろうと思って探したが、生憎一人もそんなのは見付からなかった。  そのうちに二年経つと東京の大地震の騒ぎを伊予の道後できいたが、九段が無事ときいたので東京へ帰るのをやめて又あるきまわった。けれども今度は長く続かなかった。私の懐中《ふところ》が次第に乏しくなると共に私の身体も弱って来た。ずっと以前から犯されていた肺尖がいよいよ本物になったからである。  久し振りに、なつかしい箱根を越えて小田原に来たのはその翌年の春の初めであった。そこで暖くなるのを待っているうちに懐中がいよいよ淋しくなって来たので、私は宿屋の払いをして東の方へブラブラとあるき出した。すてきにいい天気で村々の家々に桃や椿《つばき》が咲き、菜種《なたね》畠の上にはあとからあとから雲雀《ひばり》があがった。  その途中あんまり疲れたので、とある丘の上の青い麦畑の横に腰を卸《おろ》すと不意に眼がクラクラして喀血《かっけつ》した。その土の上にかたまった血に大空の太陽がキラキラと反射するのを見て私は額に手を当てた。そうしてすべてを考えた。  私は東京を出てから丸三年目にやっと本性に帰ったのであった。懐中を調べて見ると二円七十何銭しかない。私は畠の横の草原に寝て青い大空を仰いで「チチババチバチバ」という可愛らしい雲雀の声をいつまでもいつまでも見詰めていた。  東京に着くと私は着物を売り払って労働者風になって四谷の木賃宿に泊った。そうして夜のあけるのを待ちかねて電車で九段に向った。  なつかしい檜《ひのき》のカブキ門が向うに見えると、私は黒い鳥打帽を眉《ま》深くして往来の石に腰をかけた。その時暁星学校の生徒が二人通りかかったが、私の姿を見ると除《よ》けて通りながら「若い立ちん坊だよ」と囁《ささや》き合って行った。青褪めて鬚《ひげ》を生やして、塵埃《ちり》まみれの草履《ぞうり》を穿いた吾が姿を見て私は笑うことも出来なかった。  その日は見なれぬ内弟子が一人高林家の門を出たきり鼓の音一つせずに暗くなりかけて来た。  私は咳をしいしい四谷まで帰って木賃宿に寝た。そうして夜があけると又高林家の門前へ来て出入りの人を見送ったが老先生らしい姿は見えなかった。鼓の音《ね》もその日は盛んにきこえたけれども老先生の鼓は一つも聞えなかった。  私はそのあくる日又来た。そのあくる日もその又あくる日も来た。しかし老先生の影も見えない。亡くなられたのか知らんと思うと私の胸は急に暗くなった。 「しかしまだわからない。せめて老先生のうしろ影でも拝んで死なねば……」  と思うと私の足は夜が明けるとすぐに九段の方に向いた。高林家の門からかなり離れた処にある往来の棄て石が、毎日腰をかけるために何となくなつかしいものに思われるようになった。 「又あの乞食が……」と二人の婦人弟子らしいのが私の方を指しながら高林家の門を這入った。私はその時にうとうとと居ねむりをしていたが、やがて私の肩にそっと手を置いたものがあった。巡査かと思って眼をこすって見ると、それは思いもかけぬ老先生だった。私はいきなり土下座した。 「やっぱりお前だった。……よく来た……待っていた……この金で身なりを作って明日の夜中過ぎ一時頃にわたしの室《へや》にお出で。小潜《こくぐ》りと裏二階の下の雨戸を開けておくから。内緒《ないしょ》だよ」  と云いつつ老先生は私の手にハンケチで包んだ銀貨のカタマリを置いて、サッサと帰って行かれた。その銀貨の包みを両手に載せたまま、私は土に額をすりつけた。  その夜は曇ってあたたかかった。  植木職人の風をした私は高林家の裏庭にジッと跼《しゃが》んで時刻の来るのを待った。雨らしいものがスッと頬をかすめた。  ……と……「ポポポ……プポ……ポポポ」という鼓の音が頭の上の老先生の室から起った。  私はハッと息を呑んだ。 「失策《しま》った。あの鼓が焼けずにいる。兄が老先生に送ったのだ。イヤあとから小包で私へ宛てて送り出したのを、老先生が受け取られたのかな……飛んでもない事をした」  と思いつつ私は耳を傾けた。  鼓の音は一度絶えて又起った。その静かな美しい音をきいているうちに私の胸が次第に高く波打って来た。  陰気に……陰気に……淋しく、……淋しく……極度まで打ち込まれて行った鼓の音がいつとなく陽気な嬉し気な響を帯びて来たからである。それは地獄の底深く一切を怨《しず》んで沈んで行った魂が、有り難いみ仏の手で成仏して、次第次第にこの世に浮かみ上って来るような感じであった。  みるみる鼓の音に明る味がついて来てやがて全く普通の鼓の音になった。しかも日本晴れに晴れ渡った青空のように澄み切った音にかわってしまった。 「イヤア……△《た》……ハア……○《ぽ》……ハアッ○《ぽ》……○○《ぽぽ》」  それは名曲『翁《おきな》』の鼓の手であった。 「とう――とうたらりたらりらア――。所千代《ところちよ》までおわしませエ――。吾等も千秋侍《せんしゅうさむ》らおう――。鶴と亀との齢《よわい》にてエ――。幸い心にまかせたりイ――。とう――とうたらりたらりらア……」  と私は心の中で謡《うた》い合わせながら、久しぶりに身も心も消えうせて行くような荘厳な芽出度《めでた》い気持になっていた。  やがてその音がバッタリと止んだ。それから五六分の間何の物音もない。  私は前の雨戸に手をかけた。スーッと音もなく開いたので私は新しいゴム靴を脱いで買い立ての靴下の塵を払って、微塵も音を立てずに思い出の多い裏二階の梯子《はしご》を登り切って、板の間に片手を支えながら襖《ふすま》をソロソロと開いた。  ……………………  私はこのあとのことを書くに忍びない。只順序だけつないでおく。  私は老先生の死骸を電気の紐から外して、敷いてあった床の中に寝かした。  室の隅の仏壇にあった私の両親と兄の位牌を取って来て、老先生の枕元に並べて線香を上げて一緒に拝んだ。  それから暫くして「あやかしの鼓」を箱ごと抱えて高林家を出た。ザアザア降る雨の中を四谷の木賃宿へ帰った。  あくる日は幸いと天気が上ったので宿の連中は皆出払ったが、私一人は加減が悪いといって寝残った。そうして人気《ひとけ》がなくなった頃起き上って鼓箱を開いて見ると、鼓の外に遺書《かきおき》一通と白紙に包んだ札の束が出た。その遺書には宛名も署名もしてなかったが、まがいもない老先生の手蹟でこう書いてあった。  これは私の臍《へそ》くりだからお前に上げる。この鼓を持って遠方へ行ってまめに暮してくれ。そうして見込みのある者を一人でも二人でもいいからこの世に残してくれ。あやかしの鼓にこもった霊魂《たましい》の迷いを晴らす道はもうわかったろうから。  私はお前達兄弟の腕に惚れ込み過ぎた。安心してこの鼓を取りに遣った。そのためにあのような取り返しの附かないことを仕出かした。私はお前の親御様へお詫びにゆく。  私は死ぬかと思う程泣かされた。この御恩を報ずる生命《いのち》が私にないのかと思うと私は蒲団を掴み破り、畳をかきむしり、老先生の遺書を噛みしだいてノタ打ちまわった。  しかしまだ私の業《ごう》は尽きなかった。  私は鼓を抱えて、その夜の夜汽車で東京を出て伊香保《いかほ》に来た。  温泉宿に落ちついて翌日であったか、東京の新聞が来たのに高林家の事が大きく出ていた。その一番初めに載っていたのはなつかしい老先生の写真であったが、一番おしまいに出ているのは私が見も知らぬ人であるのにその下に「稀代の怪賊高林久弥事旧名音丸久弥」と書いてあったのには驚いた。その本文にはこんなことが書き並べてあった。  ▲今から丸三年前大正十年の春鶴原未亡人の変死事件というのがあった。右に就て当局のその後の調べに依ると同未亡人を甥の妻木という青年と一緒にその旅立ちの前夜に殺害して大金を奪って去ったものは九段高林家の後嗣《あとつぎ》で旧名音丸久弥といった屈強の青年であることがわかった。  ▲然るにその後久弥はその金を費《つか》い果たしたものか、昨夜突然高林家に忍び入って恩師を縊《くび》り殺してその臍繰りと名器の鼓を奪って逃げた。  ▲彼は数日前から高林家の門前に乞食\体《てい》を装うて来て様子を伺い、恩師高林弥九郎氏が何かの必要のため貯金全部を引き出して来たのを見済ましてこの兇行に及んだものらしく、三年前の事件と共に実に功妙周到且つ迅速を極めたものである。  ▲尚高林家では前にも後嗣高林靖二郎氏の失踪事件があったので、久弥の事は全然秘密にしていたのであるが、兇行の際犯人が大胆にも被害者の枕元に義兄靖二郎と犯人の両親の位牌を並べて焼香して行った事実から一切の関係が判明したものである。云々。  これを読んでしまった時、私はどう考えても免れようのない犯人であることに気が付いた。この鼓が犯人だと云っても誰が本当にしよう。世の中というものはこんな奇妙なものかと思い続けながらこの遺書を書いた。そうして今やっとここまで書き上げた。  私は今からこの鼓を打ち砕いて死にたいと思う。私の先祖音丸久能の怨みはもうこの間老先生の手で晴らされている。この怨みの脱け殻の鼓とその血統は今日を限りにこの世から消え失せるのだ。思い残すことは一つもない。  しかし私はこんな一片の因縁話を残すために生れて来たのかと思うと夢のような気もちにもなる。 (『新青年』大正十五年十月) ---------------------------------------------------------------- 底本:角川ホラー文庫『夢野久作怪奇幻想傑作選−あやかしの鼓』(角川書店 平成10年4月10日初版発行) テキスト入力:林 裕司(「あやかしの鼓」を除く) 青空文庫公開:1998年11月 ※「あやかしの鼓」は、ディスクマガジン『電脳倶楽部』に掲載されたテキスト(入力者:上村光治)を使用しています。